07年度『読書について』を〈読まないタケトミ現代文〉

 
 皆さんこんばんは。6月のうちに投稿しようという気持ちで、アリバイ的な月末の記事になります。

 こちらの講師の仕事は3学期制の一学期期末(成績処理業務がある)に差し掛かるころで、自分の仕事のスケジュールの中で緊張感や作業のペースをキープすることと、できる作業の量と仕上げの質について見直す作業に苦労してしまいました。

 遠隔授業で当然ですが君たちのカリキュラムもこちらでは決定できないなか、こんな状況の自分がどうやって伝えられるか・どうやったら入試得点を最大化できるかでかなり悩みました。【プチ解説】シリーズを掲載するのも、そうした最大化のための改善の一つです。──授業に合せて解説すると、動画が時間的に追いつかなくなる。かといって難解な動画授業をゆっくりリリースしていても、早い日々の添削に悪慣れして、あっさりしかチェックしなくなった数割の人たちの処理能力では、いくら私が動画を丁寧に録画したところで、学習理解することはむずかしいと思います。

 【プチ解説】は多少は役に立ちましたか? 解答の中身の違いで青木先生にはいずれにせよ迷惑を掛けてしまうけれども、まだ皆さんは「ポテンシャルとしての『仕上がり』・大器晩成の『晩成』」の段階ではないと思うので(昨年の高3よりは受験に向けたレベルアップの度合いは高いが、国語力全体としてはまだまだ伸びるし、何より言語的論理力はまだ一流校のそれより遠く、合格のためには鍛えなければならない)、だから「諦め方面への割り切り」になるような真似はして欲しくないのが切なる願いなのです。

 事実として、入試本試験の作題に携わる東大の先生方の考えていること、問いかけようとしている水準は難しいのです。ザルのような理解力に下がってしまえば、微妙な点数しか取れなくなるのは間違いありません(作題に関わったとおぼしき現代哲学の先生に、前期教養で「所詮君たちはあの水準でしか書けない人たちだからね」とディスられたお話はしましたっけ?)。【プチ解説】で半分くらいの授業課題に必要な横やりを入れつつ(青木先生ごめんなさい)、音声解説がないと伝わらない難易度の教材には動画による演習授業をやっていくというかたちでうまく割り振っていけたらいいなと思います。

いろいろ考えたけれど、君たちの顔を思い出しながら、いちばん確実に実力に届くサポートをするとしたら、このやりかたになるのだろうと思っています。

 武富の「チート技」(おどけて言っているのであって、ズルいとかふざけているとか、本気で思っているわけではありません)というのは、談話分析という認知言語学や言語情報処理の一つのジャンルに依存したもので、東大では文学部の学部の授業でその断片的なノウハウを学びました。現在の言語情報処理はテキストの確率分析を数学的に割と細かく処理して、処理の方向性は機械に割り出してもらうことが流行としては多いかもしれませんが、それよりも少し前、人間の認識の中で文章をどう要約できるかということを考える少し古い研究アプローチにヒントを得たものです(学部で受けた授業の半可通を、受験のテクニックねじ曲げたものに過ぎませんけど)。

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 ただ、この時期にどうしても分かっておいてもらいたいのは、この日本ではほぼ最高水準である東大論説文の読み取りにおいては「論説文を組み立てるさいの見通しを持てた者だけが勝つ」、ということです。何とか読めるからよいとか、テーマを知っているから何とかなるとかではなくて、「筆者と同じ見通しで組み立てを見るから『読める』」のです。言語学的なアプローチで文章をウラから読むというこの技術を使って、論説文を組み立てる筆者の論理に振り落とされず付いていく訓練をすることが、割と言語力だけはあと一息で中学受験を終わらせた西大和学園の32期くらいまでの生徒には必要なことなのだと思います。

 この訓練は簡単ではないし、何より西大和にはそれをやるだけの国語の教員の数が足りない。けれどもあと皆さん自身が数ヶ月頑張れば、たとえば東大寺や甲陽学院の論文読解力に負けることはなくなります。文理ともに数学の得点が無い人や、英語で得点を上げられない人には競争力はそもそもない。そこはしっかり頑張らなきゃいけないのだけれど、「賢いやつは国語でも取る」という水準に、この学年ならば受験でも到達するでしょう。

 33期は、34期はどうなるかって? 33期には基礎は教えました。34期から下の代は、国語も中学のころから東大寺の水準の実力をもってますので、こういう多少無茶なトレーニングはなくても何とかなってしまうので、先生たちが時間や手間を割くべき対象が変わってきます。「自分で論説文を組み立てられる知的水準の高い生徒」が、「組み立てるときの目線」で読むことをすれば、ある程度外さない読解はできます。談話分析は、だから「国語力だけがもう一息」だった集団にとって必要とされた、栄光への架け橋(古…)なのです。

 さて、2007年度はとにかく難しい難しいとさんざん繰り返してきましたが、皆さんはこの段階で理解してこられるでしょうか。

 アクティブユーザーが減っていることが、青木先生や牧村先生の仁義立てであるのならば、私は特にかまわない、先述の通り〈タケトミの読まない現代文〉の手法を戦略として自覚的に使ってもらうだけでまぁまぁ困らないところまでは来ていると思うので、しかたないかな・・・何せ自分が部外者になったからな・・・くらいの気持ちで見送ることができます。しかし受験の水準、とくにK塾の東大オープンまでの流れのなかで難易度に気圧されているのであれば、チート技を勝負で活かすこと自体ができなくなります。現代文でもこの技を知ると知らない(組み立ての見通しを持つと持たない)とでは理系で10~15点、文系で20~30点の「安定した点差」がつきます。この得点差を返す努力(いわゆる、地頭の良い人の国語の得点を、自分が他教科だけで必死に取り返していく努力)が、本当にできるでしょうか?

 東大を得意科目の「得意」で受かる人はまれです。苦手がないこと、番狂わせにも対応できる着実な解答ができることが、大半の合格者にとっての合格した要因です。東大合格20人で良いならば国語は無視してもよいでしょう。けれども西大和が別格の学校にここでなる、ここでなれるのならば、論説文の組み立てを見通せる知性がこの受験のプロセスにおいて備わっていくのでなければいけません。

 立ち向かう覚悟と技術、そして行動をきちんと整えて、本試験の問題に臨みましょう。

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