随筆2 2014年度「馬の歯」③【〈r〉の抽出と構成の〝逆算〟】
〈r〉無しでは、人は作品が書けないから

 非論理的な〈レトリック〉を論理的な筋道に使った面倒くさいケースは、2019年度「科学と非科学の〈はざま〉で」の直近ではこの14年度「馬の歯」になるでしょう。
 理科類を受験する人にもこの記事を勧めているのは、大学が好んで出題する文章中のテーマ、モチーフ(題材)に、具体物への置き換えや構図の単純化を伴う〈レトリック〉が悪さをするということはいわば必然であり、その読みにくさの度合いを加減しながら出題がなされていることがうかがわれるからです。この年度はまだ構成が明確であるうえに、問2傍線部のレトリックによる語弊のある表現はうまく解けば他の設問を通して解決していきますので、練習に使うのには適していると言えるでしょう。無論、昨年度に文理共通問題で問われているのですから、〈レトリック〉の対策をしておくのは当然なことです。

 北大の問題(高校現代文1 水村美苗『日本語が亡びるとき』)を思い出してください。もはやグローバル化しか手がなくなった困窮した日本の大学は「より一層の論理的で自主的な読み取りと組み立て」を出題し続けざるを得ません。過去10年はまだ「新機軸」として前向きに語られていたそれも、国内の研究の豊かさや可能性という根幹を失ってしまえば「ただひたすらやっていくしかないもの」になっていくことでしょう。「国語」という教科が空疎に響いてくるのも、「国語の教科から〝役に立たない(?)〟文学国語を分けよう」という俗説が出てくるのも、「何語でやってもいいからとにかく国外と論理的なやり取りをしなければ生き残っていけないんだ」という閉塞した状況の現れなのです。

 そこに、「秩序化され解体される〈はざま〉」に置かれた日本において、「〈r〉つまり自国語による言葉の〝あや〟が論拠に関わるさいの違和感」の克服を受験生に求める、という2019年度入試の出題の意図があると言ったら深読みでしょうか。少なくとも私は大手予備校の解答速報が混乱、誤解、論点回避するのを見ながら、そのような印象を持ちました。

 前回の記事のぶんのノウハウで文系としての合格点は奪取しているので、今回の記事は〈r〉に関する最後の詰めの部分です。

 
2014年度第4問 蜂飼 耳「馬の歯」③:
 ・ exの下処理のあとに、〈r〉についてやるべきこと
 ・ 〝主要な〈r〉〟を選び出す作業手順
 ・〈r〉が複数出てきたときの、論拠との優先関係

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【問題文】2014年度東京大学第4問_蜂飼耳「馬の歯」

〔2014年度『馬の歯』ex下処理後の作業について①
         随想に〈r〉が多数出てくるのはなぜなのか〕

 演習2①の記事でexのグルーピング(や問題意識の把握)を済ませ、前回の演習2②ではこれまで触れてこなかった「〈r〉の書きかた、記述のやり方」を駆け足で説明しました。
 ここでは問2問3それぞれに現れる〈r〉も含めて読み取ることで見えてくる随筆本文の構成を、的確に解答に織り込んでいくことを目指します。

 7月以来まとめてきた入試現代文の読解戦略の手順で行くと、まずはexのグルーピング(や問題意識の把握)、次にディスり構文の解消、それから「主だった〈r〉の読み取り」で、論拠や細かい〈r〉の処理は後回し、というふうに説明してきています。

 この随筆で言えば、中心的な〈r〉とは、
ex2の後の文脈「問いとは〈弱さかもしれないが、もっとも遠くへ届くだ〉」
 =ex1〈はじめて教えられたことだけが帯びるぼんやりとした明るさ〉」
ということになることでしょう。前回の記事を読んでもらえればこれは明らかです。

 「無策な段落読みと傍線部の置き換え」がどういう悲劇を生むかは、すべての解答速報を参考にして出版されるはずの赤本の問1と問4の模範解答を引用すれば十分だと思います。
赤本問1答:「同じことが繰り返される日常の中に、初対面の人と話す機会がイレギュラーに訪れ、新鮮な話題が深い印象をもたらすということ。」
赤本問4答:「普通の人が興味を持たないものについて嬉々として語り、こちらの想像力を掻き立て、問いを呼び起こさせる人がいるということ。」
 太字のところは文中にそれなりの言葉があり、根拠が全く無いというわけではないですが、〈r〉が読めないとここまで核心に触れない悲惨な解答になるかと思わせる良い例ですね。

 だから今回やりたいのは、「複数の〈r〉から『主要な〈r〉』を選び出すにはそもそもどうしたらよいか」に対して時間内に実践できる明確な方針を与えることです。
 これの答えをひと言でいうと、筆者による解決課題を探す作業と同じです。exのグルーピングの作業のときに目についた、気になった〈r 比喩表現や極端な発言〉に、機械的にマーカーを付けて(「#ハッシュタグ」を付けて)いけばよいのです。解決課題を探す作業と同じく、exとのつながりをニュートラルに眺める「目」を持ってくれているかぎりは、一つ二つ見逃したところで大勢には影響ありません(小問の設問を解答しているうちにいずれ気が付きます)。

 前回の記事で述べたように、論理による展開に先立つものとして〈レトリック〉の#タグは存在します。テーマ性のある直接的な指示対象を念頭に置いて様々に述べることが、主張のある文章作品を成立させる鍵になっているからです。つまり〈レトリック〉とは、筆者・作者にとってはテーマ主張を象徴する手段として具体性や直接性をそなえておきながら、論拠や描写に細かく還元できなかった未消化のプロット(筋書き)それ自身であり、文章の意図をつかむためにはexの概要把握と同時に考慮しなければならないという言い方ができるのです。

 この随筆の要素でわかりやすく例えるならば、インタビューの相手である「先日の理系の男性」は、編集者である筆者には〈興味深い〝本〟〉を思わせた。それは彼女にとっては、人生に切実に関わる詩を作る吉原幸子の一冊の〝本〟(詩集『オンディーヌ』)のイメージとつながったその本の中の詩である「虹」の一節を借りれば、彼が私に残した一つ一つの問いは、乗り越えて先に進むべき〈どこかに大きな間違いを隠しているまぶしい輝き〉に思えた
―――そういう筋書きになるかと思います、というか、ほぼそうなります。なぜかというとたいていの場合、ひとはそのようにして〈r 何かについて断片的な印象を抱き〉、思いにふれて(ex 何か )を引き合いに出して、それらを関連付けることで自分の作品を書いているからです。

 さらに言うと、特に研究機関である大学においては、それら断片的な随想は、最終的には普遍的に理解される論理性や妥当性を持って解釈されることを期待されていることも間違いのない事実です。一次資料の中から憶測や感傷の部分や論理的に整合しない表現の部分を見極めつつ、筆者の意図も含めて本文にある枠組みや筋道を明確な文章のかたちに置きかえる。文系第4問「随筆」の存在意義はまずはそこにあり(出題傾向からすると予備校はいまいち分かってないように思うけど)、文理共通第1問「論説文」でもそうした未消化の〈象徴的表現、極端な発言〉についての解釈を時々求められるのだ、と私は考えます。

〔2014年度『馬の歯』ex下処理後の作業について②
         〈r〉をexに沿って洗い出し、関連付ける〕

 さて、作業に入りましょう。
 論文としての完成を目指していない、もしくはその前段階の文章作品である随筆、随想において、話題の構成はexと〈r〉の絡みかたから見ていくほかない、というのが現段階での私の考えです。
 ex1を大きな目で見ると、前文脈の傍線部ア「雑誌の取材相手との時間は〈日常の中にずぶりと差しこまれる〉」と、既に前回の記事で言及した後文脈の「時間が経っても気になる、〈はじめて教えられたことだけが帯びるぼんやりとした明るさ〉」が拾えます。
※ 作業手順としてとにかく大事なのは「ex1から最後のexまでを最初に大きな目で俯瞰しておくこと」です。ここではex2が「人生、生き様における深い問いへのあくなき追求をうたった女性の詩」であり、筆者がそれに同調していることを見渡していれば、大人の人間愛の文章として設問4つを網羅的に解答することができます。

 概略をつかむだけならこれで問4までいけますが、ex1の下部項目を見ていくとex1a(蓮の田や動物園)のところに「自分には思いも寄らない事柄を、気にかけて生きている人を知る=〈知らない本のページをめくる瞬間〉と似ている」があり、
ex1b(カフェラテのカップで間接キスを意識)に〈以前から知っている人のよう〉があり、ex1c(台風の後の植物園)の前後に〈秘密を打ち明けるよう〉〈いつか、そんなことがあった気がする。いっしょに︙した気がする〉〈植物園もまた本に似ている〉「その人のなかにも〈未知の本がある〉」、
それからex1d(海岸の馬の歯)の前後に〈その口からこぼれる言葉が、一音、一音、遠い浜へ駆けていく〉〈いつまでも、幻の馬は脇に繋いだまま〉あたりが〈はじめて︙ぼんやりとした明るさ〉とともに拾えるでしょうか。
 ここで意味段落切りをしてしまうと、問1問2は淡い恋の匂い、もしくは異様な親密感や仮想体験といった制御困難なあいまいさ、ぼんやり感で解答を書く羽目になりますが、作業はまだ続きます。

 ex1cとex1dがex2をまたいだ文章の末尾でもう一度言及されていることを確認して、松ぼっくり、馬の歯=〈文字のない《詩》その言葉を思い出すと〈蹄の音の化石が軽快に宙を駆けまわる〉
〈わかることはなにもない。その暗がり〉のなかで〈問いだけは確かにある〉
=〈問いとは弱さかもしれないけれど、同時に、もっとも遠くへ届く光なのだろう〉
―――この辺までを鉛筆で線を引く、印をつけるという作業が必要でしょう。深読みせずにこの作業手順でスパスパ印をつけていくのが、上位5%あたりの神領域に入るためのポイントでしょうね(実際卒業生でいましたよ。この教材も放課後に添削講習しました。高等部喜多学年の高1東京研修で国会見学のお手伝いで来てくれました)。

 あとは、これらと関連付けられていることが自明なex2から、〈わかることはなにもない。その暗がり〉のなかで〈問いだけは確かにある〉という後半で初めて出てくる象徴表現〈暗がり〉の関連を見つければ終わりです。

ex2a(前半部)の前文脈〈愛、罪、傷が結局はすべてを表している〉後文脈〈その重さのなかでぴしりと凍る〉それでも〈繰り返し読みたい(可笑しみ)〉
 =「あれは、なんだったのだろう︙脳裏をなぞる瞬間は、日常のなかにいくつも生まれる」
   (=ex2bの後文脈「問いだけは確かにある」)
︙(しかし)「多くのこと(脳裡の残像、〝問い〟)は曖昧なまま消えていく」
       =〈足元を照らす明確さは、いつでも仮のもの〉
     ⇔ 「だからこそ〈一歩踏み出すことからはがこぼれる〉」

ex2b(後半部)の前文脈:傍線部ウ〈その一歩は消えていくだ〉
 =後文脈〈確かめられないことで埋もれている日々に掛かる〉に「消えろ、と宣告」
     ⇔ 「〈虹〉=〈どこかに存在する大きな間違いを隠すまぶしさ〉は希望ではない」

 ex2は一つの詩を前後半に分けて紹介しただけですから、前半の「深刻さと可笑しみの同居」と後半の「問いという一過性の光に向き合い乗り越える切実さ」の両方が必要になります。

 この文章は、虹のような美しい〈光〉であっても、確かめたいことを見せる妨げとなるならば消さなければならない、としながらも、「別の対話が積み重なって確かめられないでいる(ex1の後の文脈)」が「わかることはなにもない〈暗がり〉(ex2の後文脈)」だ、とするあたりに説明不足の傾向が見られます。馬の歯(や松ぼっくり)についての問いを光として認識しているかぎりは、〝もう一回会ってその内容を問いかけとして扱い、その曖昧さに輪郭を与えたい、その光の先を見たい〟と考えているのでしょうから、この〈暗がり〉とはここで一人でわからないまま待っていることを指すのだろうと思います(最終段落で「理系の人」にまつわる問いを〈もっとも遠くへ届く光〉と描写していることからも、筆者個人の近くは〈暗い〉と喩えているのでしょう。他の解釈や見落としている描写があればメールで指摘してください)。

 ex2(詩)の話題がex1(理系の人、松ぼっくり、馬の歯)のなかに包摂されているところからすると、〈暗がり〉の解釈の問題を除けば、このたくさんの〈r〉たちの相互関係自体を見渡すのはそれほど困難ではありません。遠くへと進んでいくための切実で乗り越えるべき日常の問いかけ、それが〈光、明るさ〉が示す内容だ、ということを、ex1の内容に返してやればよいということと、そして同時に(松ぼっくり、馬の歯)が理系の人のなかの〈未知の本〉であり、〈文字のない掌のうえの〈詩〉〉であるということだけです。
 ex2(愛、傷、罪といった日常の問いを追い求めたいという切実な願いの詩集)が、ex1(理系の異性)という《いろいろ入った本》の中身だった︙というだけのことなのですが、皆さん、これ実感持って受け入れられますか?

 「だけ」と言いましたけど、戦略もなく恋愛の話と読むのは主観的なうがった読み方、でも細部の描写を読もうとすればするほど前半後半のレトリックの間の連関が見えなくなるという、なかなか難しいところなのです。

〔2014年度『馬の歯』ex下処理後の作業について③
         exに直結する〈r〉を見逃していないか再点検する〕

 要するに、具体例と〈レトリック〉がつながっていたという本文末尾での伏線回収に、どうやって気がついてどうやって意識を維持すればいいのか?、ということになります。
 これも課題解決型の文章で設定課題を見つける手順と同じで、〈r 言葉の〝あや〟〉の混乱は、結末を先取りして解いておきなさい、ということになるのですが、深く入り込む前に気が付かないとけっこうな痛い目を見ます。

 〈レトリック〉とは、筆者・作者にとってはテーマ主張を象徴する手段として具体性や直接性をそなえておきながら、論拠や描写に細かく還元できなかった未消化のプロット(筋書き)それ自身であると述べました。また、〈レトリック〉は文章作品の中で未消化の部分を抱えたexのグルーピングの作業のときに目についた〈r 比喩表現や極端な発言〉に、順次「#タグ」を付けていけばよいとも述べました。今回の記事の場合、微細な読み取りに入る前に文章結びの問4傍線部の説明は済ませてしまっていますが、本番だとどうでしょう、果たしてexに関係するさりげない〈r〉の存在に気がつけるでしょうか?

 〈r〉が非論理的でかつ文章の初期のプロットの名残である以上、筆者の文章の各所に練られていないままちょこちょこと顔を出している可能性があります。私もそういう点で、レトリックの解釈の問題をきっちりと解いてのける自信はありません。大問別の度数分布は公開されていませんが、トータルの度数分布では7割5分を超える得点の受験生はふつう一人もいませんから、教員も満点を取る必要はないのですけれど、これまでの卒業生の合格状況からしたら、私が添削に関わった人のなかで周到な人しか文Ⅰ・文Ⅱには受かっていないという現実も同時にあるのです。

 さきほど〈レトリック〉を〝#タグ〟としてとらえることを提案した理由は、〈r〉をいったん(ex)と同列、同レベルの存在として見渡す作業工程を入れてほしいからです。もともと文章を組み立てる際のおおまかなキーワードであった可能性が高いのがこのレトリックです。1単語くらいの単純なキーワードであれば、exと〈r〉のあいだで関連していないかを再点検してほしいと思います。こうしたとらえ方が、小問の記述解答のさいにもパフォーマンスを高めてくれるはずです。

 第4問随筆は対策なしの受験生ならば大半が1割も得点できていない一方で、文Ⅰ・文Ⅱを自分で決め打ちして受かっていくような上位の受験生の多くが予備校の答案よりだいぶ良い内容を書いて5割は取っている、と思います。先日小問4つのうち2つは取れるようにしたいと述べましたが、これまでの西大和卒業生集団でそんな高得点を取ってきている学年があるわけがありません。科目の外からコストや効率の圧力をかけまくることで数を出してきた西大和学園が、学校全体として、ほとんど備えてこられなかったのが入試現代文、とりわけこの随筆の読解分野です(私の執念は基本的にここに対する不満と心残りから来ています)。ぜひとも入念な対策と練習をしておいてください

〔2014年度『馬の歯』 問2問3の標準解答〕
 単純なキーワードの〈r〉であればexと同列同レベルに見るべき、というのは、ここでは問2傍線部の〈比喩表現〉の読解に露骨に関わってきます。無策な段落読みと各個撃破なんかをやっていると、問2にして撃沈するというパターンに陥ってしまうということですね。

 これまで3カ年この年度の過去問を上の代の高3生に添削と解説を行ってきましたが、この〈植物園もまた本に似ている〉の出来の悪いことと言ったらありませんでした。それはこの傍線部イ(台風のあとの植物園の様子が〈本のページ〉に喩えられている=〈植物園へ通うその人のなかにも、未知の本がある〉)の内容が、最初の〈本の比喩:「自分には思いもよらない事柄を気にかけて生きている人がいるということは、知らない本のページをめくる瞬間と似ている」〉を踏まえたものであるという入れ子構造:〈奇特な人、という〈本〉のなかの《いくつもの未知なるエピソード、という〈生きている本〉》〉を、認識できないか、受け入れられないか、言語化できないか―――とにかく記述解答までたどり着けないのです。皆さんはどうでしょうか。ぜひともこの問2は自分で記述解答を作ってみてほしいと思います。

[問2]※ex1c(台風の後の植物園)という対象文脈に対して、レトリック:〈r本のページ〉≒〈詩集『オンディーヌ』見えない文字、遠くへの問い〉を投影する
解答:456789012345678901234567890
違う人生を生きる人との出会いも、その人が語る出来事も、人生を
問う本のように筆者の生活に幾重にも秘密・謎をもたらすということ。

 実体としての〈書籍〉を開いたらまた〈書籍〉が入っている、なんてことはあり得ないわけで、正直言って筆者の表現力や描写の詰めの甘さに問題があると言ってよいと思いますが、〈秘密や問い〉が幾重にも入れ子構造になっているという先の文脈のレトリックに繋がりを認められれば、別に何の問題もなくなってしまいます。先が読めない、どこから書いてよいかわからない、〈r〉に論理的な厳密さがないのが許せない・心もとないなどの解答者側の甘さが、超上位の受験者層と凡人との境界を分けてしまうのではないでしょうか。
 この〝何重もの入れ子構造〟、前期教養課程の基礎教養科目にも関係して非常によく出題されるのです。2017年度第1問(伊藤徹『芸術家たちの精神史』)では底の抜けた〈虚構としての人工的な自然〉が何重にも本来の自然から離れた変質を見せていましたし、2016年度第4問(「青空の中和のあとで」)では〈日常の破れ目〉が〈空の青色を破るという認識を破る《赤い風船》〉として現れたのは授業で学習したとおりです。この『馬の歯』からの出題の頻度から、2019年度入試(もしくは翌年度)あたりの第1問に〈rの中の《R》〉が出題されるのは十分予期できたというわけです。今年度の断言はできませんが、2011、14、16、18年度のPBL型、2013「ランボーの詩の翻訳」のディスり混雑型、2007や10、15年度の定義「《ジャンル》《プライバシー》《足跡》」の多義的解釈型、2014、17年度の論拠としての二重性入れ子構造型、以上のなかのどれか2つの組み合わせで、おそらくPBL型の対策が必須なのは間違いないだろう、と見当をつけています。

[問3]※ex2(詩「虹」の前後半全体)という対象文脈に対して、〈消えていく/光だ〉の説明を投影する
解答:456789012345678901234567890
日常に生まれる問いは、心引かれる未知の明るさを持っていても、
先へ進むために一つ一つ乗り越えるべき切実なものだということ。

 問1「日常のなかに〈ずぶりと差し込まれる〉」の説明と構造は実は非常に似ています。〈ずぶりと〉の深さの説明も〈消えていく・消えていかねばならない光〉の理由の説明もex2の特に後半のb部分を投影することによって得られるということと、問3傍線部ウが対象とするex2aの文脈「愛、罪、傷の重みがあるのに繰り返し読みたい日常の明るさ」というのが、ex1(理系の男性)が筆者にもたらした「心ひかれるぼんやりとした明るさ」を具体的に示すための例示となっているため、中身としては筆者によってもたらされた同一のもの、ということになります。違うのは〈ずぶり〉という切実さを、〈分からない明るさに甘んじていないでむしろ前に進む、遠くへ向けて次の問いを目指す〉と前向きに転換するところです。性愛的なものである保証はありません(ex1bカフェラテのカップからすると何%かの可能性はある)が、精神的な意味でいうと筆者は人生の問いとして、強くこの理系の人との関わりを求めていますね。イケナくなるかもしれない愛、罪、傷の切実さを受験生に書かせていいのか? とも思いますが、ここは文系専用問題、女子を受からせたいという国策とともに多少無理をした出題になっているのでしょうね。

 というわけで、〈r〉の〝書き方〟や〝非論理性〟〝原始的なキーワード/プロットとしての性格〟など、本文はわりと易しいはずなのに説明すべき項目が盛りだくさんになってしまいました。
 八月に忙しく、また精神的に悲しいこと苦しいことが重なったため、どうぞ許していただきたいのですが、これで文系対策としてもセンター前に押さえておくべきノウハウは学習を終えることができたと思います。

 2011年度第1問でPBL形式の練習をきっちりと行ったあとは、論理的に込み入った第1問の過去問をやっておくべきだと思いますが、授業との兼ね合いを考えてスマートにやりたいと思いますのでまたメールでメッセージをいただければと思います。できればオンラインで公開採点がやりたいけど、どうかなぁ。アナログな感じになってしまうかもしれませんが、希望者があれば1回くらいはやってみたいなと思っています。
 プログラミングスキル、言語情報学的知識、アプリケーションの企画開発などの点で全然足りないところだらけで生まれ変わることもできず、皆さんに貢献もできず、夏休みは悔しい気持ちになりました。

 年食ってもいろいろあっても諦めてはいませんけれど、素質があってさらに訓練を積んできた皆さんの将来にはすごく希望を感じています。受験には短期決戦の部分も多くさまざまな工夫や気付きが要求されますが、弾みをつけてどうかいい学習を各教科しっかり積み上げてください。体調気をつけてね。

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