解答編②(問4、問5百二十字記述)で、この年度の解説の最終回です。これは二〇一八年度の第一問(野家啓一『歴史を哲学する』)の類題でもあるので、二〇一八年度の演習をやる(授業で必ず取り扱うことと思います)際には、必ず参照しておいてくださいね。
設問をセットで解ける「大人の事情」が問3と問4の間にありましたので、残されたポイントはPBL型文章における一二〇字記述の書き方についてです。
課題解決型の出題であっても、入試の水準の文章ではディベートと言い切れるほどには単純な二項対立にはなってくれないので丁寧に解答するべきなのですが、巷の模範解答ではあいまいな貶しの構文で字数を稼いで逃げるダメな大人たちが多いので、約四行の記述解答の説明を改めてしておこうと思います。
2011年度第1問 桑子敏雄「風景の中の環境哲学」④:
・整序した論理展開のもとで、設定課題課題と論敵を意識して、文脈ごとに書き分ける
[問4]「河川の空間は、時間の経過とともに履歴を積み上げていく」(傍線部エ)とあるが、どういうことか、説明せよ。
[問5]「風景こそ自己と世界、自己と他者が出会う場である」(傍線部オ)とはどういうことか、本文全体の論旨を踏まえた上で、一○○字以上一二〇字以内で説明せよ。(句読点も一字として数える。)
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【解説、マークアップ】2011年度東京大学第1問「風景の中の環境哲学」
[問4]「河川の空間は、時間の経過とともに履歴を積み上げていく」(傍線部エ)とあるが、どういうことか、説明せよ。
※問3と言及されている範囲は共通です。同じ内容をコピー&ペーストされないように、論拠説明と詳細の置き換え説明に出題の方向性を変えているだけです。
KY
河川が自然の力と人為とによって変貌するなかで、人間の多様な経験を可能にするそれぞれの川の個性がかたちづくられていくこと。
SD
河川は、自然と人間の営みの長い蓄積によって、人々に固有の経験を与え得る個性的な意味をもつ風景となるということ。
TS
河川の空間は、長い時間のなかでその川の個性を醸成し、自然の営みや手助けする人々の経験を含む、その経過を人が意識しうる確かな時の流れを積み重ねていくこと。
TS別解
河川の空間は、長い時間のなかでその川の個性を醸成し、自然の営みや手助けする人々の経験を含む、人が実在性を実感できるような歴史を積み重ねていくこと。
赤い
河川の空間は時間の経過とともに多くの人々の経験の蓄積を含み、さらに自然の営みを含むことで、豊かで個性的な空間となること。
ver1.0a
個々の経歴を持ち訪れた人々の新たな体験と、河川が累積し行く時間の履歴との交差とが、河川の個性として現れるということ。
ver1.0b
河川は、自然による変遷と近隣の人々の経験とを履歴として併せ持つことで、時間的奥行きのある固有の空間となるということ。
河川自体の個性は、時間的な意味付与によるこれまでの人々の経験と、自然による変化の履歴の固有性、特殊性であることは問3でも確認済みです。
これが「川の個性」として示されると同時に、訪れた人に新たな風景・体験をもたらす基盤であるという論拠としての部分も盛り込みたいところです。
先行するK社とS社は両取りをすでに目指しています。字数上説明不足になって明示すべき論拠が言葉足らずになっているのが残念ですが、全体像が見えている点では優秀です。スタッフの不足が嘆かれ始めた時期でもあるT社は結論まで読解できておらず、林修先生がタレント化したあとの混乱をうかがわせます。
しかしながら、過去の私の解答bはというと、丁寧ではあっても前者しか書いておらず、解答aは〈r3〉の向かう傍線部オとの論理的な区別を放棄したという点で、いずれもロジカルシンキング的には満点にはなりえない解答だと思います。
二〇一六年度「反知性主義」が出たその年の2月の講習で最後のお題にしたのがこの二〇一一年度で、まさにその年はPBL的出題で的中したのはよかったのですけど、当時は「大学がどこまで書くべきと考えているかわからないから、二つのアプローチで書きます」と但し書きをして解答を配布しています。いま当時の模範解答を見ると戦略としての軸がなく、両論併記していて我ながらみっともないですね。
[講座としての問4標準解]
風景と出会う(人の創造的な体験の)基盤となる河川空間には、現在までの人々の関わりや自然の作用による変化の履歴が固有性をもたらしているということ。
観点
①河川自体の個性は、時間的な意味付与による履歴の固有性、特殊性であるということ
②それの作用主(これまでの人々の経験と、自然現象による変化)
③訪れた人に新たな風景・体験をもたらす基盤であるという結論部の前提条件
解決課題と、ストーリーの全貌とをきちんととらえていれば、これまでの授業でも行ってきたような二行=関連三要素に圧縮、簡素化するための優先順位が見えてきます。傍線部文脈ではゴールとして示されている「個々人の創造性、河川における風景としての固有性」までの道のりを詳述する必要はないわけですから、解答の前半に連体修飾節としてつながりを説明するだけで終えることによって、解答の字数がかさむことを回避しています。
これも、文章の全体が把握できているからこそ可能になることです。
[問5]「風景こそ自己と世界、自己と他者が出会う場である」(傍線部オ)とはどういうことか、本文全体の論旨を踏まえた上で、一○○字以上一二〇字以内で説明せよ。(句読点も一字として数える。)
※「自己と世界が出会い、自己と他者が出会う」という対句的フレーズの反復が持つ〈r レトリック〉としての性質、言葉の〝あや〟への冷静な対応が必要になるところです。
〝自己と他者が出会う〟というケースは、文章全体のどこにも書かれていません。〈r3〉を話題としてとらえても見えてくるのは「個々人の体験する風景としての固有性」です。他人との出会いなど想定されていません。〈r3〉をex7が語り、〈r自己と世界、自己と他者が「風景」で出会う〉がex7の前後で〈r3〉と同一の内容に言及しているという見立てから、傍線部オの内容が、直前文脈「一人ひとりが自分の履歴をベースに河川空間に赴き、風景を知覚する。だからその風景は人びとに共有される空間の風景であるとともに、そのひと固有の風景でもある」を〈極言〉として言い換えたものととらえるのが妥当だと思います。
KY
河川空間の設計に際して重視されるべきものは風景である。それは、人びとの経験や自然の営みの中で変化してきた個々の河川を、固有の身体的経験に即して捉えるところに成立するものであり、そのなかでこそ人は思いもかけない多様な経験をするということ。
SD
風景とは、限られた概念によって管理されるべきものではなく、個々人が自己の身体を通して、自然と人間による営みの蓄積と自己の固有の経験とを交差させて共有することで、他者とのかかわりによる新たな体験と発想が生まれる創造的な場であるということ。
TS
人が身体的存在として空間を体験する際に、固定概念に管理されずに自由な想像力で積み上げた個性的な経験に即してやはり履歴を蓄積した空間と関わって風景を構築して自己に固有の風景とするとともに、同様に各々の風景を持つ他者と風景を共有するということ。
赤い
風景とは、既知の固定化された概念によって管理されるべきものではなく、個々人が自己の身体をその中に置くことで、多様な空間経験を積み蓄積させ、同じ風景を共有することで他の人々とも触れあい、新たな体験と発想が生まれる創造的な場であるということ。
ver1.0a
風景は、事業者の意味付けを受けない空間設計に止めた場合こそが、身体空間として個々人が時間的奥行きのある河川と出会って自己の履歴に新たな経験と発想を得るという本質的な意味で、個々の人生に創造性や独自性をもたらす出会いの場たり得るということ。
ver1.0b
都市設計の延長として河川が設計者の理念に制約を受ける現状では、風景の根幹である河川の時間の履歴と周辺住民との多様な出会いが損われるとともに、河川での知覚経験から人生に独自の発想が生まれるという内なる出会いの創造性まで脅かされるということ。
この二〇一一年度の記事②でも述べた内容を再掲します:
手順③ 主なレトリックを使ってexの説明を試みる
=筆者の構想の中にあったストーリーを再構築
※最後の傍線部付近のレトリックまでここで見つけられているならば、ほ
とんどの場合一二〇字記述までここで得点できる目処が立つ。
最初の方のレトリック(〈r1〉)は後半で解きほぐされていることが
多いので、あとの方の〈r2〉〈r3〉で回収理解される伏線であれば、
気にとめる必要は無い。
(過去と未来とを結ぶ自然の川の相(ex4、5)で、都市設計の
事業主体の想定以外の体験(ex3)と発想をする可能性)
=〈r1 川は人生に喩えられる〉。
= 都市と違って河川は〈r2 庭園と同じように〉竣工を起点として空間の履歴
(ex2 個々の体験の多様性、訪れた人々それぞれの創造性)を育成し
ていく。その履歴に空間の意味がある。
本来は、〈r3 過去から流れてきて未来へと流れ去る水と同じように〉、
空間の蓄積された履歴とその人の経験の積み重ねとが交差する個々人に
固有の風景(ex7=空間的経験を積むための身体空間)でもある。
ゆえに、都市計画の設計者の概念の押しつけで河川の空間を再編しては
ならない。
以上のことから、〈r3〉に相当する部分を傍線部オの語句に沿って説明することになります。S社とT社と赤本は傍線部を真に受けすぎたために、赤の他人同士の出会いを新たにこしらえてしまっていますが、育成されるのはあくまで(ex2 個々の体験の多様性、訪れた人々それぞれの創造性)です。個々人が新しい自分に出会う創造的で固有なその人だけの風景を主旨として書かないことには始まりません。
過去の私の解答bは周辺住民との出会いを時間の履歴の側に並べて書いてどちらにも取れるようにしてしまっていますが、自分として信じられないくらいに卑怯な書き方をしていることに驚きます。読解戦略的にもPBLの文章への接し方の点でも自信がなかったんでしょうね。あと解答bは「風景の根幹」もズルい表現です。「根底、基盤、前提」と書かなければ論拠の説明としては完全なる間違いであり、突き詰めないで書く解答にいかに臆病な小賢しさが露わになるかと考えると恐ろしさを覚えます。
[講座としての問4標準解]ver1.6a
風景は、事業者の意味付けを受けない空間設計に止めた場合こそが、身体空間として個々人が時間的奥行きのある河川と出会って自己の履歴に新たな経験と発想を得るための基盤という本質的な意味で、新しい自分自身と出会う体験をもたらし得るということ。
ver2.0b
都市設計同様に河川が設計者の理念に制約を受ける現状では、自然や過去の人々との関わりによる河川空間の変化の履歴との出会いが失われるとともに、それを基盤とした風景体験から人生に独自の発想を得るという内なる出会いの創造性まで脅かされるということ。
観点
①課題解決型学習の「小さい主題・具体的な解決課題」の明記(「×われわれ人類は」みたいな大きな話にしない)
②〈r〉とexによるストーリー上のつながりに即した説明の流れ
③最終の〈r3〉および〈r4?傍線部オ〉に至るまでの論拠のつながり
④〈r4?傍線部オ「風景こそ自己と世界、自己と他者が出会う場」〉に対する真っ当な「一般/具体二方面への中間的表現の置き換え(三段図)」
二〇一八年度「歴史を哲学する」の一二〇字記述(〈r網の目〉の読解を介した、フィクションと歴史的事象との決定的な違いの論理的説明)もそうですが、具体的な解決課題と論敵に対するその論証を書く時点で、たった四行の記述問題の解答要素・字数は一気にロックされるのです。こうした場合に文章前半を適当にディスるような無駄打ちの説明を入れている余裕などありません。
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︙︙以上のように、この年の解答速報は先行するK塾の当日速報の頭のキレが際立っていたことや、そもそも都市空間デザインという文学や哲学よりもまだ分かりやすいテーマであったことから、各社の模範解答の全体の水準が非常に高い年となっていますが、S社やT社の解答の傾向は例年「なぜか主語を大きく、話題を一般化して終わりたがる」ので気をつけてください。筆者の問題意識を離れて人類や日本全体の何かを語ろうとするのは、日本語による活字マスメディアがまだ日本社会そのものだと考えられてきた頃の古い信念に過ぎません。政治は劣化し、マスメディアは飼い馴らされ、個々人は広大なネット空間で小さい興味の範囲だけに思考を囲い込まれている。PBL型の出題で令和の時代が問題になるとき、S台の好きなとらえ方の真逆=小さい話題の限定された範囲でいいから新しい発想で一点突破するという方向性の文章が出題される可能性は高いのです。
PBL的出題が多くなってから、その反動なのかもしれませんが河合オープンや駿台実戦の現代文の内容は逆に全般的な科学文明史、広範な芸術理論からの出題が多くなっていますので、直近の第2回オープンも第4問随筆を含めてそうした「漠然とした学術的内容」である可能性が十分にあります。しかしながら東大がテーマ理解から漠然と文章を要約するような読み方を二次試験で求めたことは過去に一度もないのです。もしそうした出題のときには、exのグルーピングとディスり構文の末端の確認で乗り切ってください。
この講座特有の読解戦略を覚えれば、2回目は倍速で書けます。4回目までは4倍速で、その頃には実用のスピードで書けるようになっています。戦略の存在意義を、過去問の答案を書いて演習で体感してください。
それではまた。
問6:a 跳 b 断片 c 抑圧 d 阻害・阻碍