2008年度『反歴史論』の残りの設問解説(問2、4、5)です。問2は実は各論の設問でしかないのが罠と言えば罠なのですが、てきぱきいきましょう。
自分たちの代で母校に何を為し得たのか、私立の草創期の学校であれば在校中の一つの美学みたいなものがあります。母校に対する思い入れというか、自分たちが頑張ったことへの誇りというか―――生徒会役員や組織化が重要なクラブであれば、学校の年齢に限らずそうしたプライドというものは明確にあるのではないかと思いますが、自分たちの主体的な選択が歴史の重みとして感じられるとしたら、それは卒業後の十年くらいはひとつの誇り、よい思い出であってくれるのではないでしょうか(高校生の視点から見た時の景色と比べれば、思ったよりも早いペースで、社会も自分自身も変わってしまうものです)。
NYGは中等部女子1期生というところ、中等部共学(併学)1年目というところでかろうじて〝時代の区切り〟らしいかたちになっていますが、あまりに変化の早い学校なので、皆さんがこうした喩えにピンとくるかどうかはちょっとわかりません。けれども〈歴史の重圧〉に負けそうになるのか、〈自分たちが築き上げてきた実感〉を後輩や周囲に誇れるのかという問題は、この文章の〈歴史の重み〉というものの認識にけっこう関わってくるのではないかと思います。
積み上がったものと自分自身との比較、それから共時的に自分よりも声が大きい存在との比較―――この文章は〝批評〟の比較軸が通時性/共時性の二つの次元に展開されていることが、読み取りと説明の両方を難しくすると思います。論点をすり替えない真面目な筆者の文章だからまだ救われていますが、二つの軸で比較相対化がなされる批評というのは、霊長類の生き物に過ぎないホモサピエンスにとっては相当気をつけなければ正しく読み解けない/説明が相手に通じない〝目先を奪われる複雑さ〟を持った文章であることは間違いありません。
だからこそ、筆者自身が前提に据えていること、根拠にしていること、問題としてとらえていることを押さえた読み解きの戦略的な重要性が際立ってくるのです。
2008年度第1問 宇野邦一『反歴史論』③:
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