【プチ解説】2017年度第1問『芸術家たちの精神史一日本近代化を巡る哲学一』
何だこれ…チート技総動員の文章
PBL系として解く順序を最終確認しよう

 受験直前の最終回です。過去問の中でも最大手数で解くことになると思われる、2017年度第1問 伊藤徹『芸術家たちの精神史』で、これまでのチート技の総ざらいと、解くべき順序およびかけるべき手間と時間の最終調整をどうぞよろしくお願いします。

 
 

【プチ解説】2017年度第一問 伊藤 徹『芸術家たちの精神史――日本近代化を巡る哲学――』:
 ・最終調整(チート技の確認と、手順の最適化)

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【マークアップ、解答】2017年度東京大学第1問伊藤徹『芸術家たちの精神史』

 

 

【今回のポイント】〝下読み〟の最適な順序を考えよう

 この2017年度は「情報にカラ振りのない最大密度の文章」となっています。
 いわゆる文明論の文章であり、伊藤徹は今世紀2回めの出題ですから、テーマ学習という点ではどこの進学校さんでも耳にタコになるようなやり尽くしたジャンルと言っていいでしょう。開成なんかは「高2でやった文章が出た」とニュースに取り上げられてもいました。

 ところが、情報密度が異様に高い(exによる切り分けとグルーピングが必要)、レトリックもある、論拠もある、筆者の設定課題が独特と、ざっと挙げるだけでもなかなか制御が難しい文章なのです。だから、分析と記述の段階、そこだけで明確な得点差が付きます

 さみしい話ですが君たちを送り出したら、僕はどこに行けばいいだろう︙と思いながらこの半年ほどを過ごしました(すでに奈良を離れていながらおかしな話ではあるんですが)。けれども、NYGで君たちと関わった時間のなかで明確に自分が変わったこと:入試難易度に対して取っているアプローチが体系化されるなかで、その読解戦略が全体として学術的な体系性を帯びてきたことは、わりと思ってもいない収穫でした。私にとって惨めに感じないで済む方向に、オメオメ生き永らえる糧が見つかったような気がしています。

 才能ある皆さんと長らく関われたことに感謝をしつつも、私の人生に明確な発展性を見せてくれるほどまでの体系化が済んでいないのが〝下読みにおける各チートテクニックの最適な手順〟です。今回は一つの実例として、読解の手順のコスト計算について、各自あたまの中でシミュレーションを行ってください。
 

 
exのグルーピングができなければそもそも学者にはなれない

 2016年度 内田 樹『反知性主義者たちの肖像』の記事で扱い、また前回の2015年度でも軽く触れたように、PBL系の文章において整序されないままの読み取りにはなんの意味もありません。そこに食らいつくことのできる人材がK塾にはおそらく一人だけいて、最近は前線に立つことはありませんが、このオンライン講座で扱ってきた2010年頃までの解答解説では登板してくれていました。その人の先行する解答速報によって、他の予備校の模範解答も正気を保てていたのです。この2017年には、その方が舞い降りてきているような気がしています。

 それでも、4、5時間遅れで公開されたこの年のS台予備学校の模範解答はさんざんな物でした。exによる伏線も読めず、最終段落の〝「自然」に任すことができた(=「技術」の先進性がない時代には選択の余地がいい意味で存在しなかった)〟というフレーズを、「大自然の懐に抱かれて」などと曲解して、文明が地球の自然を壊すというような単細胞な二項対立の解答を公開していたのです。

 K塾の孤高の人材X氏と、ほかの予備校のスタッフとの差は、論文を実際に書く人か否か、というところにあると思います。それに対してS台の限界は「主語がでかすぎる」ところ。論説文はすべて現代に生きる我々に意味のあるありがたい文章だ〟という20世紀的マスメディア信仰を未だに篤く信仰しており、筆者によって怠惰な読者=現代日本の一般民衆が導いてもらえるとあぐらをかいているところにあります。

 この差は、要は〝読者側も能動的に読みなさい、考えなさい〟というアクティブ・ラーニングの意識があるかどうかに過ぎないのですが、なかなかS台はスタッフの意識がアップデートされませんね。新課程や新共通テストへの対策は順次進めてきているわけですから、もしかしたら東京大学だけには明確なコンプレックスがあるのかもしれません。口の悪い感じで私も書き連ねていて申し訳ありませんが、論文に一般的に見られる具体例や引用の参照数に対して話を束ねる作業に慣れていない予備校スタッフがあまりに多すぎます。

 皆さんはexのグルーピングという呼び方でこの作業を意識的にやってきました。第1回オープン、実戦模試あたりで書いた記事になります。
 実際に2017年度にはこうして出題されているわけです。ですから2007年度『読書について』みたいな〝無骨にexのグルーピングから全体の構図を読み、さらに後方配置されたグループのexから筆者の設定課題(さりげなく最終段落に述べてある)まで読み取らせるというぶっきらぼうな出題を、こだわって記事にしてきたのです。

 この「一見破綻したかのような複数のexのあいだに関連を考えさせる」というアプローチは、文系第4問では2018年度第四問(串田孫一による子供の教育論)で出題されていますから、文系で受験する人は「第1問か第4問のどちらかで出題されるぞ」くらいの気持ちで対策をしておいてください。『馬の歯』みたいな文学性や詩の世界を感じさせない、パラパラっとした雑な散文が出題されたとしても、exのグルーピングは必要なのです。
 また理系受験のひとも、2017年度の文章については一読しようとしても難解すぎて一読できないひとも多くいるでしょう。受験者層として、それは別段劣っているとか言うことではありません。それをどのようにして論文として正確に丁寧に読んであげられるか・記述できるかの問題だということを意識してください。

 

 
ディスり文脈はまったく万能でないからこそ、伏線の保持力は最も高い

 さて、PDFを読んでいただきたいと思います。もう本番直前ですから、唯一まともだったK塾の解答と突き合わせながら私なりに作成した模範解答や解答指針もこちらに全部入っています(2015年度は行き届かずごめんなさい)。

 でも、正直に言うと、この年度は〝こんなの時間内になんか読めるわけない〟と変な汗を書きながら必死で解説シートを作りました。先ほど述べたexのグルーピングも、ex6は「技術(テクネー)の定義」で、ex10ex11はexによる二つのグループ{(ex1〜ex8)vsex9)}を識別するための根拠となっています。ひらたくいえば、識別すべきexのグループが3、4種類で、しかも次元が異なるグループになるのです

 2017年度入試つまり3年前にもすごく必死になって高3直前講習をやっていたのですが、この本番の問題を解いてあらためて「自分は論文を批評的に読むところまでいけていないないんだ」ということを痛感しました
 exのグルーピングだけでは、解答速度が足りないことに気づいたのです。たとえそれで受験生の5割増の解答が書けたとしても、時間内に満点近くの記述解答には到達することができない。PDFにはQ(問題提起)とA(答えのカギaから伏線回収後のファイナルアンサーであるA)のディスコースマーカーも書かれていますが、これも苦し紛れの書き込みでした。

 結局、何がこの年の問題を解く最短のカギになるかというと、ディスり文脈の解消によるレトリックの関連付け(1段落傍線部ア「けれども、科学技術の進展には〈人間を︙牽引していく不気味なところ〉」=最終11段落だが、〈行為を導くもの〉の虚構性への︙」)―――これに最短手順で気づくことができるかどうかにかかっているではないか、と思うのです。

 1月にだいぶ時間をかけてしまった2019年度お茶の水女子大学『現代思想講義』の設問でも述べましたけど、〝最初のディスり文脈が中盤以降のどのディスり文脈と伏線関係にあるか〟と、〝本文最後のディスり文脈が中盤以前のどのディスり文脈と伏線関係にあるか〟という二つの方向からのディスり文脈の解消が、理屈も何もありませんがもっとも最短で本文中の主要な伏線関係を読み取る手段になりうるということを、この試験数日前のいま、どうぞ確認しておいてください。

 この作業によって、より冷静に本文中のexのグループ分けをしていくことが可能になりますし、そこにある論拠(特に後になって出現して、論理の整序(全体の論理展開の読み直し)を要求してくるもの)をより正確に読み取っていくことが可能になってきます。

 じっさい、ex6にある「技術の定義」そのもの(状況を「可能」に変えていく「技術」というものが、人間の「倫理・道徳」に対して完全に独立した事象であるということ)が、〝関係ない〟というまさにそのことによって、かえってex10ex11のような(感情と妄想の所産にすぎない「虚構」)について〝技術が勝手にできるようにする・できるようになる〟ことで、どんどんとソチラがわ(技術の実現する側)へ人間社会を変容させていくということが書かれています。
 〝独立事象である〟ということが、「人間社会がこれまで依拠していた虚構」から、「勝手に技術が実現していく虚構」のほうへ、人類をとめどなく連れていってしまう、という話ですね。

 

 くどくど書くよりもPDFを参照して考えてもらったほうが早いと思います。この年度の文章は本当に込み入った文章ですから、結論の理解に至るまでに、exのグループ分けとその相互関係を識別してもらわなければ始まりません。

 皆さんには参考文献の識別、話題の集約、設定課題の把握、論理の明確化、論理関係の整序、レトリックとexによるストーリーテリング、といった一連のプロセスをこの数年の積み重ねのなかで練習してもらいました。
 そのなかで、ディスり文脈の解消、集約というのは完成前の破綻した文章を読解するための技術です。〈rレトリック〉が論理的に飛躍したまま本文の話をつないでいくのと同じように、ディスり文脈は論敵を拒絶するだけで核心を後段に先送りします。両者とも不誠実な文章の書き方には違いないのですが、読解戦略という意味では、そこにそうした不誠実な論じ方がなされていることについて、可能な限り早く察知して、その段階でマーカーを付けてください。意味をつかむのは〝ストーリーテリング〟つまり百二十字記述につながる筋道の確認のときで構いません

 レトリックもディスり文脈も後出しの論拠も、話のつながりを修復してからが勝負なのです。気づいてしまえば突破できますから、最初の数分で検出する、できなければ解き始めて十五分までに取りまとめられるように意識する、その見通しを持っておくことが大切だと思います。

 

 そこから先は超上位の学校の超上位の生徒でなければ到達し得ないボーナスステージが広がっています。皆さんが当日の問題において〝無双〟できることを祈っています。頑張ってね。

 

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