東京大学的紆余曲折文章の抄訳問題

 
①記述の書き方
東京大学的紆余曲折文章の抄訳問題

 ※東京大学については、まとめ記事完成までは「論説文」「随筆」カテゴリーから各年度の記事を直接読んでください※

 東京大学の問題は、すっと読めるような文章が選ばれていることはまれです。難易度は易しめでも、テーマ・思想の学習的にはちょっとクセがあり、いかに今風のテーマではあっても、知っている知識で答えるという対処はさせてくれないというのが例年の傾向でしょう。頭から決め込んで読んでいくタイプの人は基本的には全く読めないですし、このブログも読んでいないと思いますけど、私大系の先生が「東大の問題は易しい」というのは、えてして素材文が学術的に入門程度に過ぎない文章から選ばれているからに過ぎなかったりしますので、実際に得点競争の中に置かれる受験生の心得としては、ちょっと気をつけなければならないと思います。

 ここでは、大阪大学の傾向と対策(大阪大学的構造把握の要約問題)でも述べたような「もたもたした悪文の読み方」と、もたもたした悪文の記述要素のまとめかたについて、過去記事を案内していきたいと思います。
 【演習記事・おすすめ順】
【プチ解説】2013年度第1問『ランボーの詩の翻訳について』
【プチ演習】2005年度第1問 三木清『哲学入門』難渋な文章ではディスりや論拠を大きく捉える※未完記事※
【プチ解説】2015年度第1問 池上哲司『傍らにあることー老いと介護の倫理学』〝なんでお母さんにもっと早く言わないの!?〟ディスりの果てまで置き去りになった論拠の恐ろしさ【公開採点】2015年度第1問『老いと介護の倫理学』論拠整序と同時に〈r〉の言及2箇所から抽出する難しさ

 ここで指摘しておきたいのは、易しい文章のほうが話がまとまりきれてないことがあるということです。

 「第一級の解説文や論説といえない文章・もしくは第一級の結論に達していないところを引用した出題箇所」というのは、くどくどと核心に迫らない回り道をつづけがちですが、同時にあちこちにまばらに大事なことを述べてそのままにしていることも多いわけで、「同じことについて述べている箇所について、どれだけ離れていても見逃さずに拾ってくる方法」というのが重要になってくると思われます。
 それが、「ディスり構文」です。

 これは私の教室での授業を受けたことがある人にはお馴染みとなっていますので多くは述べませんが、詳細は大阪大学的構造把握の要約問題で確認してください。大阪大についての記事の元リンクにある【お便りコーナー】京大阪大の入試問題についての解き方対策あれこれ①(長文記述の解答要素について)や同じく【お便りコーナー】京大阪大の入試問題についての解き方対策あれこれ②(今年はどんなテーマが出るだろうか)あたりを参照してください。

 ある程度の理解を前提として、二〇一三年度第1問『ランボーの詩の翻訳について』の解説を見てもらいたいのですが、予備校の解説が徐々に設問に振り回されて、読むべき伏線が実は本文中の前の方にあるにもかかわらず、見つけられないままに推測で後半の設問に答えていることが分かるかと思います

 本文後半で指摘されていることは非常に大事ではあるのだが、その後半における指摘を予感させる文脈にも筆者の重要な指摘が散発的になされていて、それでそのままになっていることは非常に多いのです。そして短時間の解答作業のなかで、えてしてその離れた場所にある要素は見落とされてしまう。二〇一三年度『ランボーの詩の翻訳について』は、離散したままの論点を大きく取りまとめたうえで、筆者が述べている作業の先にある可能性を示唆して終わろうとする文章です。当該記事リンクの最後に、百二十字記述について考えてもらいたい問いかけを用意していますので、演習するさいにはぜひ考えてもらいたいと思います。

 お次の【プチ演習】二〇〇五年度第1問 三木清『哲学入門』難渋な文章ではディスりや論拠を大きく捉える※未完記事※では、そうしたディスり構文による煮えきれない筆者の主張と同時に、それを説明するための論拠(論理構成のパーツ)も散発的に述べられており、拾い集めて読まなければならないところが、難易度が高いところだと思います。

 二〇〇五年度『哲学入門』など、名著と言われる古い文献から出題される可能性は十分にあります。けれども出題されるテキストの総文字数を見ていただきたいのですが、近年の類型としては、そこそこ長い文章で、忘れた頃に伏線として途中の内容が読み出されてくるというのが多いのを自分で確認しておくべきでしょう。文章が長くて伏線が発動するということは、冗長だけれども筆者なりの専門用語についての扱い方、論の進め方の作法が存在するということでもあります。短い出典から論理的に考えさせる問題を出題すると、受験生は自分自身の論理展開で処理しようとしてしまいがちです。それは次に述べますが、この二次試験においては求められていない資質だと言っていいと思います。

 さて、昨年の本試験直前の記事でもあった二〇一五年度第1問 池上哲司の『傍らにあることー老いと介護の倫理学』〝なんでお母さんにもっと早く言わないの!?〟ディスりの果てまで置き去りになった論拠の恐ろしさ【公開採点】論拠整序と同時に〈r〉の言及2箇所から抽出する難しさについて見てもらえれば、「自分の頭で考えて述べるのは本文の理屈をちゃんと読んでからにしてほしい」という大学からのメッセージがより鮮烈に伝わってくるものと私は考えます。

 この二〇一五年度においては、ディスり構文(貶し、貶める構文)が〝虚(︙でない)への志向性〟という筆者なりの術語(専門用語)によって本文テーマそのものとなって登場します。
 この年度の読解はスリリングです。ディスり構文が一体何について何の観点を補足訂正しようとしているのかがいくつかの系統に分かれており、筆者なりの用語にそって冷静に見ていかないと何が何の伏線なのかを取り違えてしまいます。

 そうした長めの文章における、作者なりの本文構成と作者なりの術語(用語法)に対する丁寧な読み取り作業の網の目のなかで、二〇〇五年度『哲学入門』にもあったような論拠が伏線として出てくる場合に何が起こるか?―――作者のテキストの織り模様のなかで、実はずっと早い段階から存在した前提条件があとになって読者に告げられてしまうことが十分に起こりうるのです。その前提条件はどこの段階から有効であったのか? その前提条件が連鎖的に有効になるディスり構文はどれとどれなのか? ―――自分の頭だけでしか考えられない受験生は、こうした文章の読み取りを前にすると、何ら評価されないまま惨敗を喫することになるのです。

 
 さて、そうした後出しの前提条件なんかが出てくると、ディスり構文だけでは本試験のテキスト本文を読みこなせない、というのが実情だと思いますので、そちらについては読者と共有された課題設定・問題意識の確認のしかた場合分けを語るなかで見えてくる前提条件などを参照してください。アクティブ・ラーニングを中学・高校で行うのは、ひとクラスあたりの人数の多さや、結局小学校の調べ学習のようにワンパターンのテンプレート化してしまう学究活動の傾向から、ほんの数年で廃れてしまいましたが、アクティブ・ラーニング的な大学での学生選抜は、大学がコストカットと円安誘導のなかで国際競争力を維持するために上位国立大学ではすっかり定着してしまいました。そちらについては、今挙げたような〝③ロジカル・シンキング〟についての項目で述べていますので、ディスり構文による伏線回収をマスターしたら、必ず読んでもらいたいと思います。


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