【お便りコーナー】本試験の解き方どうすればいいですか②
先生という存在が信じられなくなっているあなたへ

 ひきつづいて、皆さんからいただいたご質問についてお答えします。
ひと口に言えば「どう読めばいいのか、最適な手順とそれを選択する根拠は何か」ということですね。夏の講習に入ってくるとさまざまな先生に教わったり添削を受けたりしますから、いろいろと新しい刺激と知見を得る一方で、自信がない場合にはだんだん自分がどうしていいかわからなくなってくる人もいるかもしれません。この記事はそれについてのお話です。

 
東大現代文 共有すべき読解戦略 :
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 タケトミのチート技〝読まない現代文〟覚えていますか。これが日本語学(正確にはその前身の「国語学」)の分野に導入された、認知言語学的なアプローチに由来するものだということは以前のブログ記事でお話ししたとおりです。

 〝談話分析〟といって、その人が発話した(もしくは文章を著した)全体的な意図はどのようにしたら読むことができるだろうか−−−という研究のアプローチは、英語であればディスコースマーカーという呼ばれ方で、四、五〇代の先生あたりから流行した読み方でもあります。

 英語の先生に聞くかぎり、残念なのは「高2くらいまでの模試の英文はあまりにくだけていて談話分析的に明解に読み取ることは難しい、むしろ口語文として文章構成は破綻しているものの方が多い」ということなのですが、東京大学で出題される「論説文」はというと、それらと比べればもっとずっと分析可能な「ルールに則った文章」としての側面が強いのです。そこにチート技〝読まない現代文〟を技術として導入することの意義があります。

 そこで、問題は大きく二つになるでしょう。
① 談話分析を知らない先生やそれらを前提としない指導書にあたったときに、皆さんがどうするべきなのか
② 入試の文章にあたるさいに、最適な手順の〝構造分析〟はどのようなものになるか
 今回はこれらについて説明したいと思います。

 まず、前者①については、「〝構造分析〟を知らない人に知っている人が負けることは絶対にないので、新しい指導法があればそれを〝併合〟するかたちで学習してください」と、これに尽きます。

 現代文であれば、ある程度水準が高い先生であればあるほどテーマ学習を推す先生が多い、というかそういう人だらけです。この背景には「社会学や哲学、テキスト批評を『イデオロギー、政治思想として』受け取る、有名私立大学の全体的な傾向」が影響しているのですが、これって「学者・研究者」の視点じゃないんですよね。私自身が学が浅いのにこんなこと言うのは良くないんですが、「テーマ学習は論文の構造を批評的に読んだり書いたりする前段階の思考訓練であって、実際に読まされる本試験向けの読解戦略にはなってくれない」というのが残酷ではありますが私の考えです。

 「◯◯も知らないなんて」などと夏期講習や冬期講習で西大和の先生に一喝されたところで、これは教員側が講習の流れを作るためのパフォーマンスです。東大現代文には、近代科学文明が出やすいぐらいの傾向しかない。構造主義の出だしの頃の話がちょっと出ることはあっても、各種の現代思想に世界を作るとか日本の国家機構に関わるだけの政治性などないのが分かっているので、東大現代文ではいっさいテーマ学習が知ってて得するとか、読解を効率化するとかいった要素はありません

心配な人はタケトミが配ったあの分厚い「高校現代文1(絶版)」のなかにある、『漢字×用語』のあの短い文章を漢字の書き取りとともにやってください(学研出版 「東京大学受験国語研究会 読解のための 東大生式『漢字×用語』手帖」の、前半を収録。漢字練習と無理してセットにしたから売れていないけどとても良い本です。必要ならば購入すると良いでしょう。)。立憲主義とか近代化の問題点とか文明の思想的な基盤はあれくらいで十分です。

 科学はもちろんのこと、社会や政治に関連するような学問は、東大に入ったあとでどうぞしっかりおやりなさい。皆さんの知性が磨かれれば、そこで大成するでしょう(そしてタケトミに回らない寿司を泣いて喜ぶくらい奢るのですぞ)。そのために、他大であれば専門家を早期育成している最初の2年間で、国内トップの総合的な教養教育を大学自体がわざわざ時間をかけて個々人に施していく(そして偽物の才能を残りのたった1年余りで専門に近づけさせずに排除していく)、それが東京大学の伝統です

 実際に研究機関で研究されている方、されていた方のお話を聴くチャンスがあるのならば、きっちり漏れのないように受講してください。ただ、西大和では現社や倫理の時間にテキストやプリント用語集でかなり細かくやっているから、そちらの復習をすれば知識面では心配することは何もありません。ちょっと考えたらわかります。長文読みながら倫理の学習内容以上の詳しさで果たして現代思想を網羅できますか? 現代文の先生はそもそも口八丁でできているのですよ。

 

 さて、そんなことはさておいて後者②についてです。直接的には、授業の累積でいうところの〝談話分析・構造分析の最適解〟は何かについてですね。
質問をいただいた内容(いま授業の方でされている「科学と非科学のはざまで」に関連してもらったものです)を引用しますと、
 

  • 初めて読む時何を意識していますか? 1.論拠を追う 2.象徴表現を追う 3.exをグルーピングする…4.now we mustを追うなどなど…
  • 象徴表現はどのように判断していますか。今回でいうと特殊状態であったり形を生み出すことなど何をもってこれは象徴表現だなと思っていますか。長年の勘なら諦めますが笑
  • これは出来たらで良いのですが先生の解答のプロセスというかどこに根拠があるかがわからない時がありまして、1つの問題だけでも根拠を示していただけると本当に嬉しいです。

 来春の本試験を考えると、今年の「最適解」とは異なる「最適解」でなければ講座担当者としてはよろしくないところもありますけど、はっきり言えるのは「論文として、この筆者は一体何がしたいのかを、最短経路でまず掴みなさい」ということです。それによって最初に為すべき処置・プロセスが変わってきます。

 そもそもなぜ〝談話分析・構造分析〟がよいとタケトミが言っているのか。それは以前の記事でも軽く触れたことがありますが「論文を書く研究者や知識人の『論文の組み立て方』」を最短で探る方法、同じ目線に立つ方法が〝談話分析〟だから、ということです。東京大学京都大学に関していえば、〝テーマ理解〟が筆者の組み立てを見抜く手段になることは十に一つもありませんから、受験直前でそんな言説で混乱させられないでくださいね。

(ちなみに渋谷教育学園幕張では、テーマ理解が東大の前期教養学部を飲み込む勢いで行われていて、4、5割(!)の生徒はついていけていません。生き延びた1、2割の生徒が賢いのはいうまでもありませんが、本文を読まずに本当に適当なことを書く=非分析的な記述しかしない癖がついた中核集団が、私大に行ってその後どうなるのか、正直とても心配です)

 ともあれ、「出題された本文(原典のほんの一部、四千二百字程度)がどう話を導いている箇所なのか」を察知しないことには、戦略は成り立ちません。取るべき分析の最適解は、それによって異なります。

 
〔ワークフロー〕

文章(=Discourse 談話・論説)をまとめるうえで中心的な役割をもっているものが何かを見定める
(↓大きな著作物の構成、展開順に並べると)
↓ 具体例、引用だらけの文章 → 話題が絞られるまえの文章
↓ ディスり構文だらけの文章 → 理屈を導く直前からの文章
↓〈象徴表現〉だらけの文章 → 理屈を導く気がないか、論証の集約前に読者にイメージをつかませる導入部分
↓ 分かりにくい論拠ばかり出る文章 → 論拠の整理集約をする原典の核心部
↓ Now,We,Must 訴えかけの多い文章 → 理屈がないまま終わる文章か、論証が終了した後の文章

② その他のディスコースに関与するマーカーによる分析をその後に施していく
二〇一九年度〈はざま〉の文章は、「論理が途切れ」「話題も途切れ」た
   文章を〈繋いでくれそうな比喩〉を探す戦略に切り替えさせるという、
  〝戦略の再々変更〟を要求する恐ろしく度胸の要る問題となっている。

①②で見えた確実な伏線部(意味段落を超越した文章全体の要素)を解答要素とみなして、設問と設問の間(=複数の傍線部と傍線部との間)の関係/共通点や因果関係を記述していく

 ①②は要するに「どのチート技がいちばん効くか文章見ながら考える」、③は、これまで授業で言及してきた「複数の設問をセットで解く」ということにほかなりません。そういう意味では授業でやってきたことから一歩も出てはいないのですが、ここで認識してほしいのは「大きな論文や著作物の『どの部位』なのかを知ること」が、自然と読む道筋をひらいていくということです。そしてどうでしょう、ここで述べたようなパターンの文章は、「分かりにくい論拠ばかり出る文章」以外は、すでに模試対策や過去問演習で、私の方で高2段階までに学習した内容になっているではありませんか。

 四〇〇〇字程度で完成する文章など普通は存在しない。だから落ち着いて、初見の文章の持っている特徴を感じ取ってください。河川でいえば上流、中流、下流のどれにあたるのか。花火でいえば出だしなのか着火点なのか流れ落ちるさまなのか。もうだいぶやり込んでいるわけですから、そこを最初の2、3分で感じ取ることができれば、君たちは本文の分析ができるようになっているはずです。

 ちょっと話が長くなりましたが、このへんのところをおさらいしてもらえると、私としても助かります。それによって私が難しい難しいと言っている過去問や文章が、どういう意味で難しいかも伝わりやすくなるはずです。先生の宗旨替えなんて全然必要ないのです。これまでの教材の復習をして、予備校講師としての青木先生のノウハウもいただいて、他学年の先生の薫陶も受けることができれば、これ以上いうことはないのではありませんか? 私はいつでも応援していますよ。


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