【プチ演習】2008年度『反歴史論』②(問1、3解答編)「先生、僕の〈微粒子〉みたいな人生は〈重さ〉に含まれますか?」

 2008年度『反歴史論』の設問解説(問1、3)です。表題はお分かりだと思いますが、本文中のレトリックの話です。
 「頑張り」まで本当に〝微粒子程度〟じゃダメですけど、実際の出題内容におけるこの判定には、本文中の論拠(前提条件や包含関係)の存在をつかめるかどうかがカギになっているんですよね。

 「いかにも文系な文章だ」と思った瞬間になぜか論理的に考えることを放棄する人たちが全国的には一定数いて(「数学こそが論理的思考」というステレオタイプで文理の選択をした人でしょうか)、4、5年に一度の周期で教科書にあるような数理科学の概念が言語化されたような文章が実際に出題されていることを知らないようでもったいないなと思います。

 この文章の場合、〈粘土板という総和としての質量〉が問題になっていて、〈微粒子〉の質量にまつわるアレコレは通常〝ないものとみなされている〟というやつですね。なぜ微積分のかかわる領域では、そのような不平等(?)の存在が許されているのでしょうか。
 これは昨年の「科学と非科学のはざまで」にもあったように、〈質量〉の精度を尊重して差分を限りなく小さく取ることを目指していくと〝ないがしろにされる〟部分も限りなく小さくなっていくからですよね(違ってたらごめんなさい)。そしてその限りなく多く重ねる作業のなかで無限に美味しい〈r福音〉を何度も味わえる〟と述べていたのが昨年度第一問でした。

 この辺の事柄が本当に苦手ならば致し方ないのですが、高校課程の教育内容を言語で説明する努力をしているのであれば大丈夫だと思います。問題は、「文章で論理を組み立てる」ことを〝ゴネる〟ことだと短絡する偏見や知性のなさにあります

 本文に書いてあるんだから、雰囲気で読んだりしないでよく確認しましょう。

2008年度第1問 宇野邦一『反歴史論』②:
 【解答編】良い答案を募集します(追記して採点します)。メールやコメント欄経由で送ってください

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【解説、マークアップ】2008年度東京大学第1問「反歴史論」

【2008年度 公開採点】
問1「歴史学の存在そのものが、この巨大な領域に支えられ、養われている」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。

 問1、問2を各個撃破していてはいけないのはこの年度も同じで、筆者が掲げた主張の前提条件になる部分をすでに整序しておかなければ問1に向き合うこともできません
 2007年度に引き続いて「作題者も人が悪いな」と思うのは、傍線部アとしてさっそく筆者の論旨の前提条件の一つを扱っておきながら、「設定課題を規定する前提条件」つまりさらに優先されるべき前提条件をハズして問いかけているところです。

 文章末尾のディスり構文の解消を目指せば(もしくは結論部のexの前後から命題を正確に抽出すれば)、「歴史学が扱うべき『歴史』とは、〝この巨大な領域〟そのものである」という論拠①(定義)が得られます。
 一般的な「強制力を持つ中心化された歴史(国史)」は正当でないものとして解答されなければならないし、ましてそれを本筋かのように字数を割いて説明している場合ではないのです。
 そこまで解答の前段階で踏まえておかないかぎりは、解答の軸は容易にブレます。小手先の修正では全く追いつきません。
 書くべき解答要素は6点法で3要素
a「巨大な領域」の内容説明(=巨大な記憶の集積)、
bそれが歴史学が依拠し、尊重すべき対象だということ(設定課題に筆者が課した前提条件)、
c現状(むしろ「中心化された歴史」に歴史学が奉仕していること)を相対化できているか です。

「『歴史学は』aがないと生きてさえいけないくせにcのことばかりで顧みることがないということ」と書けば、筆者の望む「歴史学自体に盾突いた『反歴史論』」の立ち位置を説明できる、という寸法です。

 観点別評価でそれぞれの答案を採点すると(◯囲みの数字は業者の答案、英字は生徒答案です)、
①0+1+0=1点 ※×b:ex3まで読めば「対象領域は非学問的」と総括していけないことがわかる
歴史学は、事実かどうか学問的に画定できない出来事が無限に増殖する領域に依拠して、初めて学問として可能になるということ。59字
②1+1+0=2点 ※△a:歴史学が「国史」を直接確定しているわけではない
歴史学は、記述することによって歴史を画定しながら、同時に事実として記述されなかった膨大な領域を前提に成立するということ。60字
③0+0+0=0点 ※✕b:「対象として成立」では論拠としての関係(成立要件)は示されていない
歴史学は過去の記憶や記録だけでなく、記憶や記録がなされていない事柄までを含む膨大な領域を対象として成立しているということ。61字

 
④1+1+0=2点
書くことで歴史を画定しようとする歴史学自体が、書かれなかった要素や可能的事象を含む膨大な前歴史的領域に根ざして成立していること。64字
⑤1+1+0=2点
歴史学自体は確定された歴史をめざすとしても、その歴史を記述するためには、確定されない曖昧な無数の出来事の世界に依拠するしかないということ。69字
⑥1+(2のようで0)+0=1点 ※✕b:歴史学が「その存在の前提」とするのは「記憶」全体であって、神話伝承はかつて認識された「情報元」
歴史学は、史料の有無や事実か事実でないかという境界を超えた広範な領域における神話や物語、伝承等に基づいて成立しているということ。64字

 
⑦1+1+1=3点 ※△a:貶してばかりで内容が見えない
歴史学は、存在の有無を学問的に決められない無限の事象で構成される歴史の領域に依拠することで、初めて学問として成立し発展することができるということ。73字
A1+0+0=1点 ※✕b:「歴史」という解答が一般的な「狭義の歴史」なのか「望まれる広義の歴史=記憶の総体」なのか分からない
歴史自体が、膨大で漠然とした情報から作られることを前提とし、人間によってそこから取捨選択され、作られていくということ。
A改 2+2+0=4点 ※✕c:「領域の狭さ」が「一般的な歴史の持つ強制力」に関わるのだけれど、そのつながりが書けていない
中心化され強制力を持った歴史自体が、個人と集団の単なる記憶による膨大で漠然とした情報を前提に、より狭い領域で発展するということ。
↓歴史は往々にして、個人と集団の単なる記憶による膨大で漠然とした情報を前提にしながらも、強制力のある規範として語られがちだということ。
↓個人と集団の記憶による膨大な領域を前提にしているにもかかわらず、歴史学は中心化(規範化、標準化)された価値観を歴史として扱ってきたということ。

 一言で言って、業者の模範解答がこんなにグダグダな年もなかなかないと思います。
 設問をセットで解かないから、業者の解答は問1が最も踏み込みが甘くゆるい解答を書いてしまう箇所なのですけど、この年度は究極にひどいと思います。
「意味段落のまとめをすればいいんだ」と楽天的に考えているにしても、その後の叙述であっけなく否定されている内容をだらだら書いていては何の説得力もありません。
 ※追加で皆さんの解答をお待ちしております。60字前後(70字超えはダメ)で解答が作れたら、送ってください※

 
問3 「記憶の方は、人間の歴史をはるかに上回るひろがりと深さをもっている」(傍線部ウ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。
 ここでは問1と同様、「歴史学が扱うべき巨大な記憶の広がり(広義の歴史)」と「強者の歴史(狭義の歴史)」との間の本文中の論理関係を述べる問題なのですが、本文の結論にある前提条件から、「狭義の歴史∈広義の歴史、記憶形式すべて」という関係を示さないかぎりは得点は発生しません。
 書くべき解答要素は6点法で3要素 として以下のようになるでしょう。
 a 完全なる包含関係の指摘
 b「中心化されたゆえの国家、社会の歴史の狭さ」
 c「記憶の形態が人間の記憶のレベルに留まらないことの指摘」

 
①1+1+2=4点
人間社会に即して中心化され等質化された歴史と比べて、記憶は物体や生体の至るところに刻み込まれた多様な情報までをも含むから。61字
②0+1+1=2点 ※✕a:「越える◯◯が残存する」では領域としての包含関係は見えてこない
人間の記憶にもとづく歴史は局限されたもので、現実の中にはそれを越える物質的、生命的な痕跡としての記憶が残存するから。58字
③0+1+0=2点 ※✕ac:「記憶自体の概念」が物質まで及ぶとすると〝が〟で繋いだ「人間の記憶」が指すものが何かが全く不明
歴史は局限された人間の記憶にすぎないが、記憶自体は情報や物質や生命などにまで及ぶ概念であるから。

 
④1+1+2=4点 ※△a:「記憶を限定すること」は成立の要件ではない
地球上における物質的・生命的連鎖の痕跡をも含めた記憶に対し、人間の歴史はそれらを特定の主観性に基づき限定することで成り立つものだから。67字
⑤2+1+2=5点
人間の歴史は一定の方向に整序され局限された記憶にすぎないが、記憶そのものは物質や身体の次元をも含む混沌たる領域をなしているから。64字
⑥0+2+2=4点 ※✕a:「記憶の総体」と「いわゆる歴史」との集合としての重なり合いが全く見えない
特定の主観性に基づき限定することで成り立つ人間の歴史に対して、地球上における物質的・生命的連鎖の痕跡をも含めた記憶は多様な情報を含んでいるから。72字

 
⑦1+0+2=3点 ※✕b:本文が主張する「歴史学的に有るべき歴史の姿(広義の歴史)」と「強制力を持つ狭義の歴史」との区別が全くなされていない
歴史が人間と集団の記憶にとどまるのに対して、記憶そのものは情報媒体や諸物質、生命体の本質である遺伝子にまで及ぶ広範な概念だから。64字
⑧1+2+2=5点 ※△a:二つの集合としての重なり合いが判然としない
物質的なレベルまで広がり、量的にも膨大な記憶に対し、歴史は個人と集団が人間存在の制約下で、主体的、主観的に記憶しようとし、操作した範囲に局限されるから。76字
A1+2+2=5点 ※△a:「狭義の歴史」が記憶領域を人間以外に拡張するかのような書き方が、本文の説明と一致しない(「選択された人間の記憶の一部だから」とすればよかった)
記憶は、個人と集団が憶えていることで、また科学技術の進歩と共にその情報量は増加するのに対し、歴史は記憶から価値観と合致するように選択された記憶の一部だから。
A改 6点 
個人と集団の記憶や、また科学技術の進歩と共に「記憶」の情報量は増加するのに対し、強制力を持つ歴史は価値観と合致するように淘汰された人間の記憶の一部だから。

 A君のこの解答は素晴らしいと思います。後半部は「一般的な国家や社会の歴史は人間の記憶の領域を局限し(切り詰め)価値基準とすべく捨象した部分的なものだから」などといった言い方のレパートリーがあるとなお良いでしょう。

 この記事は問1と問3(ロジカルシンキングにあたって整序すべき論旨の前提部分)をセットで解説したところでいったん区切りますが、2011年度(「風景の中の環境哲学」③解答編前半 PBL型文章 論旨の整序と標準解答)と比較すると、先行するK塾の当日速報を担当したスタッフの能力によって、予備校各社の理解度の水準が全体にひどく左右されているように思います。政策課題などを議論するシチュエーションを思い描いてもらえば君たちなら容易にわかると思うのですけど、現在において筆者が良し悪しを述べているテーマに関わるそれぞれのキーワードを、定義することもないまま論述するなんてあっていいわけがありません。

 当日の設問で最も点差がつくのがこの前提条件の部分、次に点差がつくのがレトリックの解釈の部分だと思いますので、気を引き締めて臨みましょう。
 次の記事に続きます。

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