2016年度の演習授業は終わりましたでしょうか。期待していたs台の青本現代文25年の模範解がたいして良くなっておらず、肩透かしを食らった気分のタケトミです。
入試翌日の速報(K塾の速報は翌朝)がかなり荒削りであるため、s台は青本の編集のさいに事後的に解答を書き直す傾向がありますが、この年度の解答は、まさに前回述べた「筆者の問題意識」の部分を明確にできていない、という点で、大学側が準備してきている課題解決型の学習の波に乗れていない印象があります。2016年春の速報の段階では改革の真っ最中だから仕方ないと思っていたのですが、清書版もいまいちなのは、ちょっと意外です。
まぁ、もちろんこの講座にはこの講座としての解き方があるわけですから、予備校があてにならなくても、ここではこの文章を素材にして、アクティブラーニング型、課題解決学習型の文章の速読速解を目指します。
2016年度第1問 内田 樹「反知性主義者たちの肖像」:
・得点差につながる前半の小問の戦略的読み取りかた
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【ディスリ文脈の色分け】2016年度東京大学第1問_内田樹「反知性主義者たちの肖像」
【解説】東京大学2016年度第1問_内田樹『反知性主義者たちの肖像』※古い版でごめんなさい
2016年度のこの内田樹の文章は、一言でいうと「仲間の数をあてにして論敵をいじめ倒す」という大変行儀の悪い文章です。粗雑なディベートと言えば良いでしょうか、現実に想定された「反知性主義者」が学術的存在でない(この年のニュースのなかでは、それは「中学受験レベルの憲法への理解もないような、与党に関係する政治家や思想家」がそれでした)ことをいいことに、相手を自分「たち」の解釈で切って捨てて排除するという、わりと凶暴な議論になっています。
筆者の主張の内容の良し悪しはさておいて、議論の組み立てを見て取るのがPBL系の出題における特徴的なミッションです。その読み取りは、最初あたりの手順であるexのグルーピングの時に工夫するのが最も手っ取り早いと思います。以下、実際にやってみましょう。
手順① exのグルーピングと筆者サイドの問題意識の確認
これまでに述べたとおりですが、引用や具体例のグループ分けを、感覚的に読み取った数ぶんだけでいいので、早い段階で行いましょう。
特に、課題解決学習(Problem-Based Learning)型の文章の場合には、そこでさらに加えて「筆者はどちらのexのグループにいるか、どちらの側を支持しているか」を見極めましょう。
すると問1からすでに、該当意味段落のex1とex2が示している「反知性主義者」の方ではないその逆側のグループの内容に傍線アが引かれて説明を求められていることの重大さが見えてくるかと思います。
グルーピングによって、文章はじめの学説の引用であるex1とex2と同系のグループであるex4のある箇所、つまり本文の後半部分に伏線関係を見つけることが出来た人ならば、傍線部アの内容(個人のあるべき話の聞き方)が、文章後半のex3とex4の対立の部分(集合的叡智において各人がどう情報を受け入れるべきか)と内容が共通しており、それが実は筆者が支持するex3の側(「集合的叡智」としての知性)の意見として、発展的に述べられて結論につながっていることも見えてくるかと思います。すなわち、問1はex3を問う問4、および結びの一文を問う問5と解答要素を共有する関係にあるのです。
これはこの手順を踏まない人には、おそらく問3の解答あたりにならなければ予感すらできない(あとで気がついたとしても加筆の仕方が分からない)ことであり、また一方でテーマ内容重視で必死に読みこむタイプの人であれば、大人であっても「内田樹は嫌いだ、この文章は受け入れられない」として〝筆者特有の議論の組み立て〟を記述説明することに嫌悪感を感じることでしょう。もちろんこのアクティブラーニング的な出題は、議論する前提の能力として〝相手の論理の骨格〟を読み取ることを受験生に求めていますから、筆者の論理に無反応なのも、独自路線で筆者にけんか腰になるのも、どちらも間違いです。端的に言って、文章を有り難がって読もうとする時点で、読み方が古いのです。
このように、話題と筆者の立ち位置をつかむためのexのグループ分けをすることができたら、すかさず「大まかな議論の流れ・展開」をつかむためのディスり構文の整理集約の作業を行いましょう。それによって、グルーピングによって浮かび上がった意味的な伏線関係を、論理的に明確な筋道として把握することができます。
手順②「ディスり文脈の末端、解決部分の確認」
7月末の記事でも述べたように、論理展開の詳細な内容を云々(うんぬん)する前に、本文の論述の渋滞状況を察知して、最短ルートで論理展開の大きな流れをつかむ作業が肝心です。
添付のPDFに、文中にある否定や曖昧な逆接の文脈にマーカーを施してあるので見てください。こうしたディスり構文=打ち消し譲歩の文脈をグループ分けするところまでこぎ着ければ、この年度の問1と問4の傍線部が同じ事について違う論点から述べている(添付PDFでいくと青色のマーカー部分)、つまり論理的にも伏線関係にあることがはっきりと分かってきます。
ここまで最短でやったとして、この手順を踏まなかったときと比べて5分くらいは余計にかかってしまうと思いますが、これは問5百二十字記述(筆者の論理展開と傍線オの極言それぞれの説明のために、文中の論拠を積み上げさせる設問)にも関わる本文のベースの部分の理解ですから、争点は「この手順をやるかやらないか」ではなく「この手順をいかに的確に速くやれるか」に既に移っていることは疑いようのないところではないかと思います。
ディスり構文による論拠、理屈の渋滞部分を最後まで読み通す作業においては、「本文最後の方のディスり構文と、その解消のされかたを先に見つけて、冒頭の渋滞部分を後で解決する」というチート技が最も解決を速めると思います。
本文の冒頭部分の対比、添付PDFでいうと最初のイエローとライム色のマーカーの対立あたりをよく見てください。これは後半の話題を持ち出すための小さな対比であって、話の中心となるexのグループが推移していくとライム色とブルーのマーカーとの内容の対立について議論が深まってゆき、冒頭の対立は本質的な対比ではなくなっているのがわかるでしょうか。
こうした小さな話題ごと段落ごとの対比の〝見極め〟=筆者の結論を見すえた上での対立関係の整理ができるかできないかの手際の差は、記述解答の全体的な精度の差としてはっきりと得点差に現れてきます。
この講座の演習1(東大op「予兆としての写真」の中盤 群衆と群集のどちらに対比した文脈なのかの識別)にも、演習2(2007年度「読書について」の前半部 現代芸術は近代芸術の何と対立し、そして何を今必要としているかの見極め)にも、【プチ解説】(京大「ブリューゲルへの旅」後半 現実の自然と描かれた自然、筆者が救われたのは何かの区別)においても同じ事が言えますので、時間を取って業者の模範解答をよく確認してください。こうしたたかだか学部入試のレベルの問題文の中間地点で、模擬試験でも本試験の模範解答においても、いい歳した大人のスタッフによる一般的な読解法がどれだけ話の流れを見失い、〝あさって〟の方角に二項対立関係を求め、過った記述解答を行っていることか。ただ一つ、「迷路はゴール(結論)から解け」という子どもにも分かるスキルを使えばいいだけの話だというのに。
論点の先取りで制限時間内の読解の流れを作り、もたもた誤解を繰り返すぬかるみの状態から抜け出しましょう。伏線がある場合は、語りはじめの言葉のもどかしさはいずれ筆者によって説き直されるのですから、小難しい文章ならなおさら、自分の頭脳を当てにした愚直な読みは慎むべきです。この2016年度はまだ易しいほうの文章ですから、ちゃんとここで対応する力を養っておくべきだと思います。
さて、この次は筆者にとってのアンチケース(〝反知性主義者たちの肖像〟=ex1、2、4)と、その象徴的な役割〈r〝呪い〟=集合的叡智に対する悪影響〉についての、本文に即した読み取りの段階に入ります。現状ではこの手順②までで合格答案の水準である上3分の1にじゅうぶんに入れるように思いますが、それは時代がまだ進んでいないからですね。英語で日本語でディスカッションする皆さんの時代においては、当然その先まで丁寧にできることが日本を生き抜き自由に海外に脱出するための必須条件になることでしょう。
手順③「読解の基本戦略 主要な〈r〉の処理、細かい論拠の読み取り」
〝とりあえず自分の仮説として〟述べはじめた筆者が、ex3の前後で「集団的、集合的叡智の『知性』の定義」を説明することで、〝集団的知性・集合的叡智の一員として〟自分の立ち位置を語り、後出しの理屈で〝理論武装〟する、という流れ
────ここまでの手順のなかで読み取れるのはこのくらいのところかと思います。そしてこの筋道すらろくに書けないのでは、参考書として参照するだけの価値があるのか正直疑問に思います。
実況中継的に文章を書いてしまうと私も本が出せるかというくらいに執筆量がかさんでしまいますので、見通しをよくするためにもうこの段階で、問5(理論武装後の筆者による「反知性主義者」への攻撃的発言の内容説明)の模範解答を、k学社赤い本とs台青い本から引用してみましょう。
赤い本:
知性というものは、
×他者の理非の判断を受けて自己刷新できないと
集団として発動しないもので、
個人で自らの判断だけを正しいと思い、他者の判断を受け容れず、
その集団の知的パフォーマンスを下げてしまう人は
「反知性的」と鑑定して間違いがないということ。
青い本:
×現在の日本を考えるとき、
自己の独善的な主張を周囲に強いる人間が知性的であった
×例のないことから、
私たちは反知性主義者の偏った情熱に屈することなく、
知性を重視して他者とともに自己刷新をつづけ、
集団全体を知的に活性化していく必要があるということ。
【ポイント】
・前提条件となるのはむしろ「『知性』に関する集合的叡智の作法、常識の存在」、その正しさを裏付ける理屈根拠は述べられていない
・個々人に要求されるのは「集団的知性」を活性化する貢献度、それを「個々の知性」と定義し直す(10段落)
・そこに照らすことによって、個々人に属する知的能力など「鑑定上はないに等しい」扱いになる
・筆者はそれを少しもおかしいと感じていない(信じている、もしくは異論をはさむ余地がない)
→ k学社の解答は集団的知性に存在しない前提を付加し、結論に傍線部の分かりきった内容をオウム返しして中身がない
→ s台の解答は文中の論理展開を完全に無視して、あるはずもない大団円に向けて存在しない論理を語っている
赤本のほうは解答に用いた論拠と論拠のつじつまが合っていないのに平然としている、また青本は着地点が一般の日本社会に棲む我々になっていて課題解決型の小さいゴールに全く対応できていないのと、論拠間の関わりを記述することを避けている様子が見て取れます。アクティブラーニング型の授業は、スパルタ教育が許されない・教員社会の強制力のほうが個々の家庭の自己主張よりも弱くなった現在においては、生徒個々人の本来の考える力を引き出す授業の展開として世の中にある程度普及し、いまやむしろ飽和状態になってきているにも関わらず、受験産業としての対応力はいまだ十分ではないようです。
皆さんはどう見ますでしょうか。ここまでの作業で伏線が見えているかぎりは、それだけでこれらの解答が誤りであることは分かってもらえると思います。私としては新共通テストへの対策を率先してやってきたs台が、いまだ「文章の理解=社会の理解」みたいな〝学生運動の延長、酒場の政治談義〟的な誇大妄想に取り憑かれた旧世代のスタッフをそのまま東大や京大対策の執筆陣に当てているのが意外なのですが、皆さんにはぜひともこんな風に「現代の我々日本人は」みたいな主語が無駄に大きくあいまいな記述解答はしないで済むようにしてもらいたいと思います。
それはたとえばSSHでテーマを決めて各論を探求しているのに、「日本の科学技術文明は…」みたいな空振りの妄想を手がかりもなく述べ始めるように滑稽なものです。そういう「社会そのものが進歩していく」といった集団幻想は、高度経済成長が終わり、国際化のなか価値観と経済的なつながり方が多様化した2000年頃までに完全に崩壊していることはいうまでもありません。
しかしながら、次の記事に詳細はゆずりますが、そのうえでこの年度の設問が特徴的なのは、結論部の論理の積み上げに明らかな無理や不合理、非常識があるというところです。個々人に必要なのは集合的叡智のプロセスが活性化するための貢献のみであり、それを尊重する限りは属人的な能力は問わない、という極論は、淡々と議論を聞いていったん受け止めるという冷静さがなければとうてい納得できるものではないでしょう。でも極論を極論として読み取るそのことこそが、ここで求められている「筆者の議論の組み立てを聞いてあげる」というロジカルシンキング(クリティカルシンキング:批評的思考)なのです。
〝クリティカルシンキング〟懐かしいですね。明確にひとつひとつの議題に対して、メンバーとともに着実に議論を積み重ね、そのうえでより正しい理解を生み出して共有していく。こうした取り組みを主体的に行っていくことが求められているのは、これまでの中学高校の学びのなかでむしろ皆さんの方がよく分かっていることと思います。その議論をどの国の誰とともに、どのような方向性で行っていくのかが研究そのものの運命を分ける──そういう時代になっていることはよく知っているはずです。本文にある論理的なつながりを、奇をてらうことなくはっきりと述べていくように、自信を持って対策を続けてください。
さて、下手すると全然見当違いの読み取りをしてしまう危険性があることは分かりましたが、受験生側としてはひたすら淀みなく正確な読み取りをしていくほかありません。そうなると、手順②までにexやディスリ構文を使って可能なかぎり本文全体の構成を正確に見抜いたうえで、本文の主旨を明確にするため、論拠の海におぼれる前に、〈象徴表現〉による〝飛躍を含んだ筆者なりの描写への思い〟があるかどうか、それが論理展開を寸断していないかどうかを点検することが次の作業になってくるかと思います。
昨年度入試の〈はざま〉の話は、科学の〈福音〉には二つあるという後半の主張に対して、前半の論述から二種類の要素を取り出すことが非常に困難でした。後半の〈福音〉二つが、まったく違う次元の概念を同じ言葉で並立させる無茶なレトリックで、それにより前半で積み上げられた論拠のの多くが引き継がれなくなってしまっていたわけですが、今回の〈r〉は、〈呪い〉=〝我々の生きる力が奪われる〟一つくらいしか見当たらず、また論理展開も単線です。仮説の種明かしが後半でなされて、反知性主義者が根拠をもって批判される、というシンプルなものになっています。
すると残りは、「文中の論拠を必要ならば集約し、整序する」作業だけです。今回気をつけたいのは、筆者は「集合的叡智」による「知性」の定義に則って、「集合的叡智の一員として」反知性主義者の存在を否定しているというその前提条件が、本文前半からは特に見えてこないことです。exのグルーピングか、ディスりの解消か、論拠の整序か、三つのうちいずれかを行えば分かることですが、意味段落で切ることを至上と考えてしまった人にはこの「後出しの前提条件」はまったく見えなくなります。すごく単純な議論が行われているに過ぎず、出題者の大学の先生の側からすればべつに難問だとは考えていないと思われますが、国語の伝統的な解き方がかえって真面目な受験生の論理的な思考のさまたげになっているというところが、この年度においてはもしかしたら最も大きな読解上の罠なのかもしれません。
というわけで、問1に議論の前提をコンパクトにまとめて述べ、伏線関係にある離れた二か所を参照して曖昧さを排した解答要素を磨き上げて問4とセットで淡々と記述し、その問1─問4でまとめた議論の姿勢、および問4で述べるべきex3とex4の対立、阻害要因としての〈r 反知性主義者の〝呪い〟〉を前提にして、問5百二十字の傍線部を解釈説明する ──
── ここまではこの記事で説明したことにしたいと思います。論拠の記述をするさいのコツは次の記事に回しますが、旧世代の解答が沈没していくのと比べれば、この記事のテクニックの理解だけで十五点くらいは優に得点の伸びが見込めると思います。
今回の大問の問5みたいに、〝自分たちがみんなで考えるさいのやる気を削ぐ人〟という〈呪い〉の定義ひとつで「反知性主義者」をのけもの、ないがしろにすることは、自分の個人的資質を棚に上げてただ集団的知性に対して謙虚であるだけで良いとする脳天気さとともに決してほめられたものではないと個人的には思いますが、こうした論の組み立てを「理解」ではなくてまず「見て取る」ことが、国際化した現在の大学の学び ── 知的な対話として異業種・異分野・異文化の人々と日常的にディスカッションを取り入れていく ── そのための基礎的な姿勢として求められていることをここで意識してもらいたいと思います。
繰り返しますが、この2016年度の文章の難易度自体は全く高くありません。〈r〉が難解であった昨年と同じように、相応にこれよりも論理的に難解な場合や、一見してほとんど破綻している文章構成から論拠を整序しなければならないような出題がなされる場合がじゅうぶんに考えられます。この年度のような傾向に対する対策を、いまの段階でしっかり良く練っておくことが、センターだけでなく二次試験でも、灘や開成の中心メンバーと当たっていくために必要だと思います。なに、昨年度の学年とは全く比較にならないくらいに君たちは仕上がってきているのです。心配はいりません。
ハードルは国語だけではありませんが、ぜひとも、いいところを私に見せてください。
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