2011年度第1問「風景の中の環境哲学」③解答編前半
PBL型文章 論旨の整序と標準解答

 解答編①(問1〜問3)です。第二回オープン・実戦の時期にレベルアップを図りましょう。

 この文章は二〇一六年度「反知性主義者たちの肖像」と同じく、「本来前提に置くべきこと」が結論のところで解き明かされているために、遅い謎解きが前半部の論理的な読解を阻むパターンになっています。これについては二〇一六年度の解説記事と前回の記事とで対策を行いましたので、読解の戦略を明確に自分のものにしてください。

 さらにこの年度は、記述作業が大変になります。複数の〈r〉の処理を学習したのはいいけれど、その後でそれをどう解答につなげるかにひるむ人が少なからずいるのではないかと思います。

 結論から言えば『別にどうということもない』わけなのですが、こうした違和感の解消というのは実際やって自分で感じ取れたかどうかに経験値としての差が出てきますので、ぜひやってみてください。

 今回は解答例をいろいろ揃えました。この解答はどこをどう直したら正確な記述に近づくのか、どの手順が甘いと読みがおかしくなってしまうのか、いろいろ見比べる時間を取りましょう。過去の模範解答に対して批評眼が備わるようになれば、一気に読解の戦略が本物の読解力に近づきます。ぜひとも自分で解答を作ってみてください。

 

2011年度第1問 桑子敏雄「風景の中の環境哲学」③:
 ・ストーリーを優先して読み、論理展開を整序してから解く
[問1]「身体的移動のなかでの風景体験」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。
[問2]「本来身体空間であるべきものが概念空間によって置換されている事態」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。
[問3]「それは庭園に類似している」(傍線部ウ)とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。

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【解説、マークアップ】2011年度東京大学第1問「風景の中の環境哲学」
[解答作成にあたって]

 二〇一六年度と比べれば、文章の語り口はわかりやすくて紳士的、解決課題も直接的なので読みやすいはずです。唯一あるのが〝〈r〉が複数出てきている〟ことで、それの読み通し方は前回の「記事②」のほうで述べました。
 一言でいえば〝exと〈r〉のストーリーテリング〟をするということで、これによって本文の〝流れ〟が見えたはずです。徐々に暴かれる重要事項:〈r3 河川の空間の履歴〉=「河川の過去からここまでの履歴」×「そこを訪れた個々人の過去から今までの履歴」、という筋書きも見えてきました。これが文章の結論にして、同時に〝本来あるべき前提条件〟だったわけですね。

 ですからここからは、二〇一六年度「反知性主義者たちの肖像」と作業の運びは同じで、「論理展開」を整序して解答を作っていけばよいということになります。

 論説文だからこそ、〈r〉のそれぞれがなんとか伝えようとしている論理的な説明を読まないことには何もわからない。だからexと〈r〉をまず本文の流れ通りにストーリーとして並べよう、というのが前回の記事の内容でした。

 ストーリーテリングのなかで〈r〉の意味が分かったあとには、設定課題「身体空間としての河川空間において設計に考慮すべきこと」の結論が、「将来に向けた体験の多様性創造性の保証」にあることはすぐに見えてくることでしょう。二〇一六年度(三段階)と違って、論理展開を整序すればたったの二段階でしかないので、きちんと前提となる内容を前段においたうえで、それぞれの傍線部が何を指し示しているのかを説明しさえすれば終了です。

 exと〈r〉の構成によって読みとれたストーリーの流れを元にして、駆け足で解説します。
[問1]「身体的移動のなかでの風景体験」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。
2段落目〝流れる水のさまざまな様態〟と〝そこを移動する身体に出現する風景の多様な経験〟がすでに、〈r3〉のある文章の結論部分(12、13段落)が導く答えそのものを指していることが分かっていますので、ex1の前後の内容を「本文の設定された課題」の中でとらえるのが良いと思います。
 細かく言うと、文章前半の問1の前後文脈のほうが、筆者の言いたい「市街地と道路でつながっている、河川空間ならではの空間設計」としてのプランの具体性はしっかりしています。文章の結びは、あくまでその筆者のとらえ方について理論的な証明をしているだけです。K社S社T社が頑張って書いているのは「身体空間の移動」についての理論的な説明ですが、後発の赤本や私の方で目指しているのは「都市からその周縁の河川へと移動するなかでの風景体験」です。

KY
川に沿って動くときに、さまざまな表情を見せながらうつろう川とその周囲の光景を、個人がそれぞれの身体感覚を通して受け止めること。
SD
人は川の流れに沿って歩くことで、移りゆく風景の多様性を、共に変化する自己の意識の体験として、身体で感受するということ。

TS
本質的に身体的存在である人間が、自らの移動に伴って出現する河川の空間の諸相(表情)を身体を通して知覚し、それを知覚する自己の身体を意識するということ。
赤い
河川に沿う道を歩きながら、ひとは身体で川と川の背景になっている都市の風景の多様性を経験として感じ取るということ。
ver1.0a
河川の流れに沿って歩く自己の身体意識を通して、都市を擁して自分を包みこむ河川空間の多様性を知覚し経験していくこと。
ver1.0b
都市を遠景として流れる川に沿って歩く際に、移動する自分の身体の周囲に現れる空間の様々な表情を意識し経験していくこと。

 K社が速報を出して、その後S社が(場合によってはKを参考に修正して)模範解答を出します。T社はさらにその後です。
 T社が前提条件の一つである「人間は身体的存在」というここでの定義を尊重しているのが分かります。丁寧でよいのですがちょっと字数のロスが生じています。
 後発の赤本や過去の私の標準解答Ver1.0a,bは「都市と川は道でつながっている」ことを〝身体的移動〟に含めようとしています。
 この一手は「課題解決型の文章の『問題意識』『解決課題』を知るためのexの下読み」の段階でかんたんに気がつくボーナスポイントなのですが、あと少し説明が足りません。
 それは、「都市から道を通って河川の風景に出会う」という体験そのものに、身体空間の移動だけでなく12、13段落の「個人の経験の履歴」が少なからず関係するという理論的な解説の反映がなされていないことに因ります。

[講座としての問1標準解]
※()の部分は筆者の論理的な説明として「前提でありながらいまだ説明途中の部分」 
都市から赴いた(個々の履歴を持つ)人々が、川辺を移動する個我に現れる空間(風景)の表情の変化・多様性身体感覚を通して受け止めていくこと。
観点
①設定された課題「都市の延長としての河川空間が与える、空間としての創造性」
②人が河川を移動することの傍線部文脈的な定義の説明を、設定された課題の存在を前提としてテーマ的に/具体的に二方面に展開して説明する

 計画された都市での生活を背景にして、整備された河川の道路にたどりついた人々の個々の経験の履歴―――どのようなものか想像をしてみてください。途中で焼き芋でもたこ焼きでも買って、土手に腰掛けて夕日を眺める一人の自分。卒業証書もらって明るいうちに渡っていく通い慣れただるま橋からの光景――― 研究や課題解決の最前線でそのあるべき姿を模索する文章においては、こうした説明の先にある本来的な個々の多様性という前提へのイメージが、問1からして重要となるのです。
 ストーリーの全貌が見えないまま何となく段落区切りしているかぎりは、かつて流行った〝身体感覚〟についての文脈的な説明にしか見えないと思いますが、「次の文章を読んで、問いに答えなさい」なのですから、そうした文脈的な説明は無邪気な部分解に過ぎません。盛り込むことを勧めているのではなくって、取り組む課題に対して河川の風景が「身体空間の移動」によって何を与えるか、なるべくゴールが見えた状態で解答を書くことが大事だということ。つまり設問をグループで解くまでに、各設問各傍線部に関わる〝記述作業以外の〟下準備をいかに効率的に進められるかが全体を決するということです。論理的な説明が要求される場合の「記述解答のかしこさ、アタマの良さ」は、文脈の単なる寄せ集めや置き換えでは決して得られないので、地頭を鍛えていくためにも手順や戦略を考えた過去問演習が必要なのです。

[問2]「本来身体空間であるべきものが概念空間によって置換されている事態」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。
※「河川空間は『本来身体空間であるべき』」というこの『本来性』とはどこに書かれているか、本文を読んで問いに答えている受験生であれば自明すぎるところです。12・13段落にキーワードをもらいにいくというイメージよりは、「本来の姿=理論的な前提となるべきもの」についての記述の部分に下読みの際に囲みを入れておくべきだと思います。
KY
個々の人間の身体に新たな体験をもたらすべき豊かな河川空間が、一部の人間の固定観念によって人の行為を支配する貧相な空間になること。
SD
人間が身体によって出会うはずの未知なる自然が、固定化された概念で人為的に管理され、貧しい空間になるということ。

TS
本当は自然に潜む多様な未知なるものを想像力(創造性)で享受すべき空間が、既知の固定概念によって管理され、人工的に特定の意味を付与された空間に再編されるということ。
赤い
本来人間の経験を豊かにする自然空間であった河川が、特定のコンセプトを実現するだけの人工的な貧しい空間になっていること。
ver1.0a
河川の風景に触れて自己の身体意識上で起こる多様な体験の可能性が、事業主体の理念の示す体験以外は排除された状態のこと。
ver1.0b
訪れた人に多様な体験や発想を喚起する本来の河川の相が事業者の設計に支配され、河川が非創造的な空間に再編されること。

 予備校各社は、「河川空間を概念空間に置換する一部の人間」の特定をしていません。傍線部が普遍的一般的用語で書かれていることに因るのでしょうけれど、これだとT社のように「既知の、特定の意味」のどこがどう悪いのかが見えにくい解答になりがちです。必ずしも犯人や原因が一人・一つにしぼりきれない時も、PBL系の文章の場合は具体的に行為者を「○○○らによって︙」と例示したほうが分かりやすいでしょう(○○「ら」とつければ断言は避けることができます)。今回は公共事業ですから、自治体とそこが発注する業者との間で設計が決まるのはほぼ間違いないところなので、使役者は直接的に明示した上で、傍線部の持つ中間的な表現を具体に一般にと本文内容に関連付けます。

[講座としての問2標準解]
訪れた人に多様な体験や発想を喚起する創造的な本来の河川空間が、事業者の設計に再編されて一意の用途に限定されている現状のこと。
観点
①設定された課題「都市の延長としての河川空間が与えるべき空間としての創造性」の指摘=「本来身体空間であるべき」との置き換え
設定された課題に対して、直接議論を交わすべき相手を明示する。被害状況を直視すべき現実として描くことができればなお良い
③「概念空間に置換されている事態」という中間的な描写表現のあいまいさを、設定された課題の存在を前提としてテーマ的に/具体的に二方面に展開して説明する
 問1で示した「身体空間における個々人の知覚、体験」に対する被害、変化の状況について説明する設問です。書き方の工夫がここでのポイントとなるでしょう。
 もちろん、問1で仕込みが不十分だった人はここでもボーナスポイントを失うわけですから、アクティブラーニング型の出題で配点を辛めに設定されたときの点差の付きかたについては本当に注意を払っておくべきだと思います。

[問3]「それは庭園に類似している」(傍線部ウ)とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。 
※問3「なぜそういえるか(論拠の説明)」と問4「どういうことか(中間表現の普遍/具象への上下段へ置き換え)」は完全にセットな問題です。
 ex6を挟んで〈r1〉と〈r2〉が対置しており、都市計画のあり方を引き合いに出しながら河川空間の本質を〈r 象徴的な表現〉がなんとか伝えようとしている。その〈r2(傍線部ウ)〉の理屈の説明が問3であり、「のである」でその説明が着地する傍線部エの説明が問4となります。
KY
河川も庭園も、人為的な整備を基盤としつつ、その後自然の力が長い時間をかけて個性を育成するものであり、人間はその手助けをするだけだから。
SD
河川空間は、庭園と同様、竣工をむしろ起点として長い時間をかけた自然の力と人の手助けで初めて豊かな風景となるから。

TS
河川空間の創造においては、竣工の時点で完成なのではなく、むしろ竣工を起点とするのと同様に、庭においても樹木の植栽は、その完成ではなく、育成の起点だから。
赤い
河川の空間も庭園と同じく竣工は起点であり、竣工後に行われる人々の生活と活動と自然の力により時間をかけて育っていくから。
ver1.0a
竣工で完成する都市計画と対照的に、河川は庭同様に竣工後に人々と自然が時間をかけ空間の履歴を重ねていくものだから。
ver1.0b
造園と同じように、都市計画で想定しない竣工後の空間育成が、人々の多様な体験との交差が期待される河川には必要だから。

 K社が「自然が河川の個性を育成する」と限定するのは、傍線部エ(︙のである)の直前、10段落の「河川の個性」についての説明を遵守したことに因っています。またS社や赤本そして過去の私の解答abがことさら「人々との関わりで」を追加強調するのは、文章の結論部の〝 河川における固有の風景 = 個々人の履歴 × 河川の履歴 〟(傍線部オ)の内容を根拠にしています。
 結論からするとどちらの立場も間違っています。どこに問題があるのでしょうか?

 K社は「人間はその手助けをするだけだ」にストーリーの先を読んでいないことに因る誤りがあります。家屋を竣工したときの人為と、その後整備していく庭師としての人為との区別を書かなかっただけでなく、文章結論部にある「個人にとってのその風景の固有性」と〈庭〉との関わりを考慮していません。実はそれは本文にちゃんと書いてある(12段落)のですが、意味段落でぶつ切りにすると全く見えなくなりますし、〈r〉と論拠が入り組んでいれば、普通の人間であれば、さじを投げてしまいます。もちろんそこに、このオンライン演習をきちんと行った我々の勝機があるのです。

 もちろん私も偉そうなことはいえなくて、ver1.0の解答では言いすぎてしまっているのです。〝exと〈r〉のストーリーテリング〟からすると、〈r1〉の美味しいところを描写完了するのは〈r2〉ではなくて〈r3〉です。すると〈r3〉でなされる筆者の説明の新規性(=問5の一二〇字記述の内容)と〈r2〉までの描写説明との棲み分けおよび関係性を文中から明確にする必要がありました。
 見分けるポイントは以下の通りです。先ほど指摘した12段落のなかにある論拠に注目してください。〈r3〉を用いて始めた議論(時間による空間への意味付与は事業者の概念による意味付与とどう異なるのか)は、ex7をまたいで「その人個人にとっての固有の空間となる」(傍線部オ)という主張を導くのですが、ex7の直前にこうあります。:「こうして積み上げられた空間の履歴が、その空間に住み、またそこを訪れるそれぞれのひとが固有の履歴を構築する基盤となる。」―――つまり、川や庭の〝個性〟という時間による履歴の育成が、本文の結びである「市民である個々人にとって保障されるべき風景の固有性」の成立の前提条件だという言及が、「なぜそう言えるのか(比喩表現〈r2〉を用いた理由を含めて)」の説明に効果的に関わってくるのです。これは〝こうして〟というコ系指示語とともに、河川の事業主体に対する長い長いディスり構文の終着地点であることからも、はっきり気が付かねばならないところです。

[講座としての問3標準解]
竣工時の想定になかった自然現象と人為による独自の空間の履歴を蓄えて人々の訪れを待つ点で、庭と河川は共通しているから。
庭も河川も同じく、竣工者の概念になかった自然や人為による時間的な意味付与によって、風景の基盤となる空間の個性を獲得するから。
観点
①〈r3〉による問題提起にすでにまとめてある「時間による空間への意味付与」のロジカルな中身を説明する
②〈r3〉による問題提起によって見えてくる「人それぞれの固有の履歴(最終的な多様性・創造性の中身)の〝基盤〟」であるところを示す

 高3の受験段階をもってしても難しい、手間のかかるという印象を持つところかと思いますが、努力目標だと思って作業工程に入れておくのが良いと思います。

 「議論の流れのなかで、途中のこの話題は何の役に立っているの?」という問いかけは、ただの説明文を読むさいには必要のないものですが、現代における前期教養課程の必修科目では必要とされるようになっていますALESS(理系)/ALESA(文系)ではこれをさらに英文で要約/英作文しながら自分で全部準備させられるわけですから、個々の説明に意味を考えない人は進級自体が困難になってしまっているようです。旧世代の基礎演習では考えもしなかった事態ですが、ほとんどの人にとって、現代文の受験対策やこの私のオンライン講座が、日本語で行われる最後のロジカルシンキングの機会だということになるわけです。

 この辺の深刻さは、切ない話であるけれども、研究費を大幅に削って国内の基礎研究を早々と中国以下の規模にしてしまった二十年前の大学改革自体の問題であり、今後さらに二十年は予想もしなかったほどのレベルの沈滞と他国への劣等感に日本の大学は飲み込まれていくことでしょう。

 大学関係者はみんなそれがダメなこととわかっていたのに、研究に割ける予算を一気に削った二十年前の改革が、あまりにも当たり前に「大学に進んだ後の人々の可能性」をいまの社会から奪った。私なんかが言うのも烏滸がましいのですが、今となっては東大であっても周縁の領域の研究環境には心もとないものがあります。
 自国語で学習した論説文の読解戦略が、みんなの生き残りに貢献することを祈ります。皆さんがその中でも乗り切って、大成してくれることを願っています。

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