【プチプチ演習】2005年度第1問 三木清『哲学入門』
PISAショックとアクティブラーニングの萌芽
難渋な文章ではディスりや論拠を大きく捉える

 リクエストありがとうございます。文章自体の難解さが印象的な00年代の文章から、2005年度三木清『哲学入門』をかんたんに演習しておきましょう。
 ※昨年度の再編集でお届けするため、本文の下処理の順番が異なっていることがあります。最適な処理の順序に適宜読み替えてください。

 「馬の歯」「青空の中和のあとで」から2017年度第1問(文明に起因する生育環境の∞次的変化・瓦解)という出題の流れを見たとき、昨年の19年度入試を00年代の問題演習で迎え撃つ、というのは必然とも言えました。この00年代の問題たちには、本試験の問題文として近年以上の「文体の硬さ・用語の難しさ」と「文脈間の堅固さ・述べ方のくどさ」があり、かつレトリックが絡み合う文章も多い。上の学年の講習で扱ったのには、個人的には明確な狙いがあったのです。

 タケトミと長らく関わった皆さんには、今年度入試への最終的な備えとして、00年代水準の難解な文章をPBLのアプローチで解いておいてもらいたいのです。それはつまり、学者・研究者の「観点」で、彼・彼女らにとっての「設定課題」を皆さんが読み解くことを意味します。

 まずは、肩慣らしです。この2005年度の硬い文章のなかに「ザックリと読むための骨組み」が存在することをはっきり確認して、対応できない他の受験生を皆さんで束になって抜き去りましょう。

2005年度第1問 三木清『哲学入門』①:
 ・論理展開の整序の初歩︙論拠の集約のおさらい

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 昨年度クラスルームで高校3年生に宛てた記事を再掲します。PISAやALESS/ALESAについての基本事項について触れつつ、隔年現象として昨年度入試が難化することを予測しています。


 2019年度の第1問は、18年度よりは難しいはずです。隔年現象として上に述べた17年度のような「硬い文体」「堅固な文脈間関係(論拠を読ませる問題文、あるいは文芸的な複雑さの下の大きな文章構造を見抜かせる問題文)」が出題されると見ておくべきでしょう。
 そのように考える具体的な根拠として、①PISAにおける近年の日本の学力回復(およびアジア新興地域の学力伸長)と、②大学内での英語によるアクティブラーニングのカリキュラムの完成が挙げられます。

①については、下のURL「日本の15歳が世界2位!? OECDのPISAで初めて行われた「協同問題解決能力調査」ってなんだ?」を見てください。
https://news.yahoo.co.jp/byline/otatoshimasa/20171123-00078436/
②については、合格した卒業生に聞いてみましょう。もしくは、下のツイートまとめ「ALESS/ALESAへの怨嗟の声」を見てください。
https://twitter.com/i/moments/917324927555866624

 まず②について――「ALESS/ALESA」はSSH/SGHみたいなものですが、国際的に参照されているような有名な論文を全部英語で読み込み、全部英語で発表・レポートを書くことが必要になるそうです。ただのガリ勉や雰囲気カシコイ人間には無理ですね。このカリキュラムはこの10年弱の間に整備されたもので、まさに課題解決型の学習を目指したものであると言えます。
 と同時に、東京大学の学部教育を「グローバル化」「国際的な学者としての『即戦力化』(大学院以降の研究に進める人材の青田買い)」することを目指したものでもあります。
 現代文の第1問に関していうと、あとで行う2010年度入試あたりからのロジカルシンキング的傾向を裏付けるものでもあります。この路線の上にあるのが、易しい本文で論理的な説明の正確さを問う、こないだの2018年度入試です

 対して、①については記事だけではなかなか伝わりにくいかもしれませんが、「日本の学力は2003年度のPISAショックから回復し国際的にも優秀な状況(世界の加盟国中で何と1位)に戻った」ということによって、「これまでどおりの『日本語の学術論文レベル』を要求するような難しい出題傾向が復活した」ということが言えると思います。
 この結果が出たのが2016年度の10月、グループワーク「協同問題解決能力」の力についての調査結果が出揃うのが、17年度入試の作問内容が確定すると見られる11~12月。まして、懸念されていたその「協同問題解決能力」でもその後日本は高い結果を出したのですから、「自信を持ってアクティブラーニング(課題解決型の学習)をさせながらも、これまで通りに国内でも優秀な人材を選抜していきたい」という虫のいい発想でいくお膳立てができたわけです。

 特に、皆さんもご存じのとおり日本の政治も社会も非常に内向きな状態にありますので、「海外に対して結果を出す」ことと同時に、さも当然のように「(コストや時間をカットされたうえで)日本国内でも結果を出し続ける」ことが要求されていると思われます。結果としては、「英語論文」または「日本語論文」のいずれか一つでも手間のかかる学生に入って来られては困るのです。最も単純な解決法は、二種類を気付かれないうちにどちらとも出題することです。主観のまじった推測で可能性を議論していて申し訳ありませんが、以上のような理由で、センター試験終了直前である皆さんの代は、あえて難しい出題傾向を採るのではないかと思います。

 太字の部分に表れているように、最近隔年現象のようにしてPBL系と難渋な文章が出ているのには、現代文で入学志願者を選抜するアプローチに、PBL系と難渋な従来型の文章の両方での生き残りが全体的に言えば必要とされているからです。

 新しい時代なのだから、その両方が同時に出題で要求されるのではないかという危惧はまったくもって正しいのですが、国語に無策無学なままで大学に受験する層が一定数いる(その中にも逸材がいることは否定できない)以上、簡単に解くためのヒントをどこかに隠してあるのが普通です(昨年度の場合、「福音は二つ」という言葉だけで無理やり読解した賢い人も少なくなかったことでしょう)。

 人というのは難しい理屈をこねればこねるほど自分でも文章が凝り固まっていくという残念な運命のもとで生きています。今回はその〝筆者の裏をかく〟という練習をやっておきたいと思います。

 

【本文の全体的な構造について】

※本文にマークアップしました。「T_2005年度・・・.pdf」という添付PDFを参照してください。※
T_2005年度東京大学第1問_三木清『哲学入門』〈行為の問題一徳〉
A_2005年度東京大学第1問_三木清『哲学入門』〈行為の問題一徳〉
 今回は、文章自体は設定課題を解決するようなスリリングな展開はなく、もっと説明、説得に偏った教科書的な文章であるといってよいでしょう(当時の時代感覚からしても古すぎる文章です)。そして古い高校教科書にあるような教養主義・啓蒙主義的な文章というのは、くどくて読者を見下すような、どうしてもいやな印象を与えることが多いと思います。
 対処法も古くからいわれてきたスタンダードな現代文の解き方にかたよってきがちなので、私としても面白くありませんが、現代的なPBL系の読み方を活かしながら分かりやすさと手っ取り早さを重視して挙げるとするならば、作業順に挙げるとしてとりあえず以下の1)~4)の4つでしょうか。

1)理屈っぽく述べあげる文章の場合、逆接の接続詞による切り返しをする箇所(disり文脈)は少なくなりがち。リストアップした上で共通の補足訂正の内容にあたるものがあれば伏線として内容の集約を行う。
→5段落最初の「しかし」より後の逆接の接続詞(赤文字部分)はすべて、人間は個々人の外部の世界(社会)に存在する物であり、行為であるということを念押しする同じはたらきのディスり文脈となっています。「心の修養」という問題をどう扱うかで脇道にそれたうえで、「いややっぱり心のケアはひきこもりじゃなくて社会との接点が大事でしょ」と言うように、従来どおりの「人間は社会に鍛えられてなんぼ」というマッチョな方向に訂正していくのが、5段落の二箇所の逆接接続詞(最初の「しかし」および「しかしながら」)ということになります。

2)複数の具体例exどうしの関連性から、暗黙のうちに存在している話題のつながりを推測する。
→ギリシャ思想を1段落目、2段落、4段落と例として掲げつつ、古代ギリシャの昔からある「徳」は、「外部に実現する技術」であり、「挨拶を含めた文化活動の全ては技術によるもの」である、というように話題がつながっており、話題の軸が少しずつスライドしています
 これ、冷静に考えればおかしいですよね。徳の、内部にある(外に見えない)部分を、文化活動全般とひとくくりにするなかで捨象してしまっています。「倫理(オレは、私はこうするぞ)」という西欧の伝統を、日本の「道徳(みんなするから僕もしなきゃ)」「修身(キサマの心は上官のオレがたたき直してやるぞ)」と共通する外部の他者と同調する部分だけで引き合いに出して同一視して、説得材料としてしまっているかのような流れです。
 理屈っぽいようで理屈が通っていない、もしくは理屈に大きな穴がある・理屈じゃないところで文章の流れが形成されているのが、古い教養主義的な文章の特徴と言えるかもしれません。ただ、exの内容が徐々に推移する事自体は〝論証としてきちんとしているかぎりは〟許容されるべきことだと思います。2007年度『読書について』にも見られたように、話題の推移の事実を受け止めながらも最終的にどういう理屈、論理展開になっているのかをきちんと拾い集めていく必要があります。

3)筆者優位で説明が続く文体には「コ系指示語によるまとめ(文脈前半)ー次の展開・流れの導入(文脈後半)」の情報密度の高い構文が話題の展開ごとに出現する。
→手順1)2)の把握と同時に、まずはこの情報スコアの高いセンテンス(ピンクのマーカー:前文脈のまとめ イエローのマーカー:次に導かれる新展開・新情報)の内容で「ダイジェスト版の情報x2種類」と「それらの関連性、流れ(ピンク文脈→イエロー文脈)」をつかむ。コ系指示語は説明口調の文章の場合には極めて大事な読解のテクニックで、2000年より前ではこれによる機械的な要約が得点のカギであったと言えます。しかしながら、今回の文章はこの手順で読むにしてもそれでも分かりにくい・くどい感じがあるので、手順1)のなかで「逆接の文脈が、前のどんな流れをけなして・訂正しているのか」を大づかみして見ていく際の「意味の単位・ブロック」として使っていくのが良いでしょう。

4)文中の論拠(論拠①定義・前提条件 論拠②条件分岐・場合分け 論拠③変化の直接原因)をマークアップ(PDFではグレーおよび「ヽヽ」で示しています)し、共通の論拠(特に前提条件や条件分岐)から伏線を見つけて、本文の流れをシンプルに把握する。
→今回は哲学分野ということもあり極めて論拠が多いので、読み間違いを防ぐためにも、ディスり構文で集約される〝主だった共通論拠〟を優先的に探すほうが手堅いといえるかもしれません。手順3)と同じく、話題の大規模なつながり・本文の構造をまず押えたうえで落ち着いて論拠の整理をするという流れの方が良いでしょう。

1)2)の流れで本文の論拠を見ると、
・3段落「しかしながら」で補足訂正内容は「・・・と考えたとき」という限定的な意味合いで4段落に引き継がれ、
・5段落「心の技術」という筆者の説に対する一般的な反例は、「人間の心が理性と非理性とに二分できるとすれば」「理性が完全に非理性を制圧したうえで、非理性を殺さず美しい調和を目指したとすれば」という何がしたいのかはっきりしない仮定(前提条件)のもとで、「ねばならない」理想として「心の技術の社会性(個人のものではないとする)」が掲げられています。
 手順2)のところでも述べましたが、あまり論理的に抜け漏れのない話の展開とは言いがたい展開をしていることが分かります。

 ただし、そうした「厳密でない主張」を筆者が行っていることを「厳密にありのままに」説明することが皆さんの使命となっていることを忘れないようにしてください。PBL系の出題と同じく、文中の論拠(特に前提条件や条件分岐)をきちんと整序したうえで記述解答に配置し筆者の主張のおかしさ(その定義必要?とか、そこで仮定して大丈夫?とか、古い文章には何だか心もとない論理的な隙間が多くあるものです)を各小問ごとに正しく赤裸々に説明していけるように、論理展開にズレがない誠実な読解と記述を心がけましょう。

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