言語による論理には後出しの部分がどうしても付きまとう―――2010年度第1問『ポスト・プライバシー』における読解の下処理は前回で終了しました。捉え方一つで読解の大きなハードルを乗り越えたあとに待ち構えているのは、「記述において何をどこまで書くか」という問題です。解答例を比較しながら、このオンライン講座の最終段階を完成させましょう。
東大の問題と他大の問題を見比べたさいにすぐ分かることは「傍線部が短い」「字数の制約が厳しい」の2点だと思いますが、「傍線部が長くて解答要素も多い」京大の対策の最終段階として思うのは「4、5本の設問傍線部だけでストーリーがほぼ見えている」ということ。対して、東大の問題ばかりを見ていたら、短い傍線部と手短に述べなくてはならない焦りから、〝これとそれは話題が別だ〟と早合点してしまうおそれがあるように思います。その早合点は知性の高さなどではなくて、むしろ自分で論理構成を追えない見通しの悪さや焦り、目的意識の乏しさを示すものだと言えるでしょう。
たとえて言うならば、いまセンターに特化、二次試験に特化、志望校に特化などと問題を切り分けて集中することは重要ですが、後半戦:志望校の二次を高得点で突破するために、それにふさわしいセンターの得点をここで獲りに行くわけですよね? 指揮官であるあなた自身としては、センターに立ち向かう理由は「足切りにならないように」でも「二次が苦手だから先に稼いでおくために」でも「いまはセンターしかないから」でもありません。
確かにセンター後の自分の状況がどうなっているかはやってみないと分からない。センター試験が全然ダメで二次試験にエントリーできないのではお話にならない。だけれども、〝全体を見極める自分の根幹の部分〟を見失った認識には何にも意味がない。ましてや、それで皆さんの知見やココロが分裂してしまっては本末転倒なわけです。
同じように、文章を統御する筆者本人からすれば〝違う話題〟なのではなくて〝別の分岐にある〟のです。ただし、言語による論理であるために〝話がどう終わったか〟が全体の構成を決定する部分を受け取る必要がある。
先の記事で論拠を察知したことの意味を生かして、分岐のポイントが明確に見えるような記述解答を作りましょう。
2010年度第1問
阪本俊生『ポスト・プライバシー』②(問1〜3解答編):
・上流から下流へ、論拠の流れが見える言葉づかいで書く
※良い答案を募集します(記事に追記して採点します)。メールやコメント欄経由で送ってください