【公開採点】2015年度第1問『老いと介護の倫理学』
論拠整序と同時に〈r〉の言及2箇所から抽出する難しさ

 今回は2015年度のポイント、問5(百二十字記述)だけを扱います。【プチ解説】で述べたように、問5の理解が問1、問2に関わりますので、ここが分かんない答案は得点率50%を超えることができません。一人でも多くのひとが受かるために、このハードルは超えてほしいと願っています。

 解説の告知もまだのところで、いち早く答案を送っていただきました。4年前の水準で行けばまさに〝完成水準〟なのですけど、ディスり文脈の読解戦略が整った現在となっては、出題している大学の先生の目論見が透けて見えてしまいますので、もう少し粘ってもらいたいところです。
 業者解答と併せて批評してみましょう。最終局面の今ならば「論拠のまずい組み立て」を見抜くことができるはずです。
 

【公開採点】2015年度第一問 池上哲司『傍らにあることー老いと介護の倫理学』:
 ・本文最終行の論拠を整序し、同時に〈r〉の内容を連動2箇所から抽出する
 ※良い答案を募集します(追記して採点します)。メールやコメント欄経由で送ってください

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**工事中**

 

 

まずは論拠の整序。これがないと始まらない

 記事のタイトルにある通り、問5については「最終段落の恒常的な定義・前提条件の存在に気づく」そのうえで、いまだ〝生きている人間自身がおのれの働きをどう意識するか〟について語っている前の段落に立ち戻り、そして「生きている人間はどう意識すれば、周囲や過去にとらわれない自分らしさを発揮できるか」について、最終段落の定義(論拠①)周辺の内容を考慮に入れながら読み解かないといけない、論点後まわしにして曖昧な記述で逃げている段落であったことに気が付かなければならない、というハードルが横たわっています。
 まず、ハードルを超える超えない以前で止まっている赤い本の解答を見てみましょう:

現在の自分は不断に生成し自分が生成をやめてからも他人による生成が可能であることは、働きの可能性が現在の自分の中に含まれることを意味するが、それは生成が他人や自分が抱く自分のイメージを否定して逸脱するという志向性を持つものだからということ。

 

 まぁ太字以外の部分はなにもわからなかったんでしょうね︙ 赤字の〝だから〟というのも、傍線部後半にあるパーツを太字(当該段落の内容)に関連付けたかったのでしょうけど、これら二つが因果関係を結ぶような内容ではないことは誰だってわかるわけで、せっかく全国に本を流通させているのに残念だなぁと思います。

 ここでは皆さんにあらためて〝論拠を適当に書くととんでもないことになる〟ことを理解してもらうための材料として示しました。

 さて実際の解答方針ですが、
〝論拠の整序〟は2016年度『反知性主義者たちの肖像』で解説した通りです。その前年度のこの文章も同じです。

 問5というか、本文の下読み(ストーリーテリング)の具体的な作業をかんたんに示すと:

 『ポスト・プライバシー』と同じ構成で、まず表面上の場合分け(本人の生前死後)されたうち、後半のほうの条件分岐死後の自分の可能性のところの論拠の構成を意識的に優先して読んでください。すると『反知性主義者たちの肖像』と同じように、「われわれのはたらきは徹頭徹尾他人との関係において成立し、他人によって引き出される」という後出しの論拠1(恒常的な定義、前提条件)がありますので、これを前半の条件分岐に適用させて、全体の論理構成を過不足がないかたちにまで整えるのです

 ひるがえって、「い」君の答案を見てみましょう:

他者の自身への印象とそれに沿って生まれた過去の自分を否定することで感得される、自分の働きの可能性によって、生成する自分に一貫する特徴が知覚でき、またその可能性が行為として実現される死後も他者に影響を与えうるものとなること。

 素直な読みでよくできているのです(というか、前回述べた4年前に私が行った高3直前講習で示した模範解答とほとんど同じで、褒めちぎってやりたいくらいです)けど、これではまだまだ論理関係に甘さが見られます。
 解答をよく見てください。皆さんは、先ほど述べた恒常的な定義、後半の分岐にしか係っていないのが分かるでしょうか。それでいて前半の「生きている際の自分のはたらきの可能性」が、〝周囲の評価の否定、外聞からくる自分らしさの脱却〟という過渡的で浅いディスり文脈の内容のまま、あたかもそうすることによってそれだけで達成されるかのように書かれてしまっています。

 赤い本みたいな論理力の欠如した解答を書く人はNYGでは高2段階で一人もいなくなっていますけれども、「い」君の初稿の答案の状態ではまだ、論拠の整理は十分とは言えないでしょう。

 

 ここで紹介したいのはS台の青い本の模範解答です。こちらは〝論拠の整序〟と私が読んでいる作業に対して自覚的なのかどうかは分かりませんが、ほぼ最終傍線部に言及されている論理的つながりの整理はできています:

S台解答:
自己とは、△固定された不変の存在ではなく、過去を引き受けつつ他者との関係において不断に生成され、自らの死後も他者の中で生き続けうる運動であり、そのような生の現在において▲過去の自分を否定する自由にこそ新たな可能性が自覚されるものだということ。

 青太字に明らかなように、〈r虚への志向性〉の存在から、見かけ上の条件分岐の前半(生きている間の自分らしさ)の方についても、結論にある恒常的な定義を意識的に関連させて前半の条件分岐の読解に持ってきているのが分かります。

 傍線部オの文脈を確認すれば、明確に〝この現在生成している自分に含まれる=秘められた可能性の自分に向かう〟生前の可能性について確かに言及しているので、残念ながらS台の青い本のほうが、解答としては格上ということになります。

 ただし、S台はディスり文脈の解消(複数箇所の文脈から共通するひとつの内容を抽出する作業)についてはまったくできておらず、結局は自分の主観と知識を勝手に補充した意味不明の解答例になっています。これではやはり〝まったく分かっていない〟の部類に含まれてしまうでしょう。

 論拠の整序ができていないO文社の解答はというと:
自分らしさとは不変の実体や意識的自己像でなく、✗過去を統合して世界に働きかけ他者との応答により不断に変化する生の軌跡として死後も他者の中で生き続けるものであり、▲そのことが従来の自己からの自由を模索する現在において自らの可能性を自覚させること。

 ディスって話をはぐらかし、2、3回曖昧な連用修飾で駄文をつないで、▲とどめにありもしない因果関係を作り上げて――まったく話になりません。
 S台の解答に足りていなかったのは、レトリックが結ぶ言及内容のネットワークへの読み取りです。〈r虚への志向性〉が指し示す内容について、離れたところにある文脈の意味する内容を、明確なメッセージの形に統合・総合する必要があるのです。S台はそこに読み取りの技術を持っていないので、〈r〉が連発する東大第4問についてもいつまでも馬鹿みたいな模範解答を書いてしまうのですが、仕方がないですね。

 

 

論拠整序と同時に〈r〉の内容を二箇所から抽出する

 以下、解法の要点だけ示します。

 この論理的な整序はこの2015年度の場合、〈r虚への志向性〉というレトリックで強制的に前半の条件分岐へと関連付けられていますので、作題者はテーマ性を表すものとして、はっきりと「何を否定することで生きている自分のはたらきは得られるのか」という前半の問題提起に補足訂正しているのです。

 

 他人の評価にもいちいち左右されてしまうような、自分という存在とその自問自答こだわってしまう意識そのものから脱却して〈r虚への志向性〉死後にも人に伝わるような働きを目指すことが、生きる自分にとっての自分らしい働きの求め方」でもあるのだよということです。

 

 ここまで論拠の整序をしないと、前半の小問で得点することもできませんから、たいへん恐ろしい出題だなと思います。

  

 次回は2017年度のプチ解説をしたいと思います。

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