【ロジカルシンキングのお題としての「批評」】
きわめて「現代文」的に〝テーマ学習〟の題材の面からこの年度を読み解くとするなら、「個々人の人生賭けた一発勝負vs集団による常時アップデート」という、知的財産の成立プロセスの対立についての〝批評行為〟が本文の中心的な話題になっているということができるでしょう。〝批評〟ということはつまり、筆者なりの手法であるものを上げたり下げたりする=価値観を読者に訴える、ということでもあります。少なくない人が「価値観」を「価値✗感」と書いてしまうように、理屈をすっとばした勝手な評価が二項対立の名のもとに正当化されているのがこの文章の特徴であり、〝批評〟の一般的な傾向です。
しかし、筆者が個人の美意識をもとに現代の集合知の価値を認めたがらないでいるなんて、そんな単純でくだらないことなんて初めから分かりきっているではありませんか。そんな「技術文明批判・筆者が二項対立のどちら側か」なんて、高校入試のレベルでしかないんですよ。そこをウダウダ記述して合格するならば、誰だって合格しますよ。
この記事では、近年の出題傾向である〝批判的な読み〟〝論理的な読解〟のお題として、この年度の出題を考えてみたいと思います。
2009年度第1問 原研哉『白』②【論拠の構成の総括】:
・〝批評〟の価値判断までの論拠をよく読む
・ テーマに関わる論理展開の分岐
この夏期研修のあいだに、わたくしタケトミとしては、「難易度の高い本試験の解説をかんたんに図解できるようにする」そのための仕組み作りを、副職を維持していくために頑張りたいと思っているところです。言葉を一生懸命尽くしたところで、一般的な解法を断定口調で説明する先生たちの〝わかりやすさ〟にも、本文にマーカーを確認もしないで関連の文献からここにない難解な概念を持ち出して説明をし出す先生たちの〝もっともらしさ〟にも勝てませんから、記述解答の戦略を明示するためにも、読解内容の整頓のための戦略を明示するためにも、プレゼン動画の効率的な生成機能が必要なのです。
いま現在この記事を読んでくれる皆さんは、私が家庭の事情で勤務校を変えたはざかいの時期としてそれほど私の読解戦略に馴染みがないひとのほうが多くなっていると思いますので、とりあえず易しめの年度の、えげつない難解な部分の説明から記事にしようと思って、2009年度を選んでいます。それでも一般に思われているような『白』のなまぬるい読解の水準から懇切丁寧に説明するつもりはありませんので、難易度の高い年度もしっかり読解するためには、昨年度の7月あたりのバックナンバーから読み返してもらうように、どうぞお願いします。
【論拠の構成=〝エラー処理の分岐ループ〟に気が付くかどうか】
中学3年生の授業教材として扱ったこともあり、論拠の積み上げ(何が何の前提条件となっているか)をていねいに確認したのですが、いくら読んでもどうもはっきりしない部分があり、原著の随想集に当たって全文を読んだ段階で、「原研哉氏には〈白〉という象徴表現を論理的に整理して展開するつもりがない」ことを確信して、あきらめました。
具体的には4段落5段落付近の(落款・ハンコによる「完成」の証)(書道の練習におけるぶざまな失敗の累積と美意識)の具体例のなかにある「白い紙」と「美意識」と「練習書き」との関係性が、最終段落における「一点の集中のなかに〈白がある〉」という(『徒然草』二矢を持つべからざること)のなかの項目の論理的な関係とうまく集約できない、ということです。これまで「本文にある同じ論拠は集約し、違う論拠は条件の分岐のなかに正しく分けて位置づける」という方向で教えてきた自分としても、これはいったいどうしたものか、中学生を前にあらためて頭を抱えることとなってしまいました。
むろん、同じ論拠は集約すべきなのです。ここで問題なのは、この文章の場合分けが「場合分け(i)(ii)(iii)」のような単純な並列構造になっていなかった、ということなのです。そしてそれに気付くためにどうすればよかったか、それが読解戦略としては皆さんに伝えられるような整頓が出来ていなかったところに問題がありました。
シンプルな解法としては、まず前の記事でも述べたように、
1.〈白〉というテーマ要素を頼りにして、不可逆性の美意識が一度かぎりの今の行為に影響を及ぼしている(前提条件となっている)ことを、最終の具体例(『徒然草』弓矢の話)の前後文脈の内容から確認しますね。
2.それから〈白〉というテーマ要素がうまれた具体例(習字の練習)のところに立ち返り、「不可逆性の美意識」が「一度かぎりの今」に関わる前に、前提として「そこにいたるまでの数え切れない醜い失敗への後悔」が存在する(=「今を成功させよう」という気持ちは「白という美意識」を前提条件としており、かつ「白という美意識」は、「過去の過ちを悔悟する気持ち」を前提条件としている)
という〝伏線(テーマ要素)を逆にたどる〟というテクニックなのですが、やり方自体として、皆さんは再現が可能でしょうか。意味段落で本文をぶつ切りにする世間の低俗な現代文の読解では、こうした構造的な本文読解のしかたすら見失ってしまうことがありますので気をつけてもらいたいと思います。
で、この作業が本文の読み取りのうえで必要であることの理由を確信するプロセスとして、
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★:本文前半の具体例(「推敲」の出典である長安都知事の韓愈と、科挙受験者であった賈島とのエピソード)と、(引き返せない完成・成功の証として落款・印を書画に押すという行為の紹介)から、一度の完成・成功にいたるまでに、(その清書・舞台の陰で)表に出ない数え切れない逡巡と失敗が隠れているという構図に気付くこと
というのが存在するわけなのですが、この★のプロセスを皆さんが文章の読解プロセスのどの段階で踏むことができるのかは、正直なところなかなか単純化してお伝えできないでいます。文章によって、筆者の説明の運び方によって、定式化はなかなか難しいのではないかと思うのです。
論理的な関わり方が多少複雑なだけで、exのグルーピングもexとrによるストーリーテリングも頭をひねらなければならなくなるという典型なのだろうなと思います。これは2019年度『科学と非科学のあいだ』で微分の概念が必要になったことと同じく、文理共通問題として「ある程度の思考モデルとそれを言語化できるだけの表現力は身につけておくべきだ」ということが求められていると言っても良いでしょう。それは作題する先生が、前期教養学部における問題意識を入試問題の設計に先取りしていることに他ならないのですが、日頃の講義が学生にうまく伝わらないストレスによるものだろうな、と教職員である私なんかは共感を覚えます。
各設問の解答に移る前に、今回の思考モデルを図にして示しておきたいと思います
画像は、情報処理における二重ループのフローチャートになります。自分の向上心とこだわりがある観点での作品の改善を求め、その達成までの試行錯誤を繰り返します(いわゆる「推敲」の作業ですね)。その観点での改善が達成されたら、つぎの次元の改善の作業が待っています。その「次の次元、段階に上がるためのトライ&エラー」を、トライする本人の視点から言い換えたものが「これまでの練習の反省を胸に、この一本の矢で決めようとする〝覚悟〟〝集中〟〝美意識〟」ということになります。これらはexをグルーピングするなかで、具体例相互にどのような共通点があるかを頭をひねりながら考えないとなかなか出て来ませんので、私としては文理ともに「アルゴリズム入門」みたいなプログラミングの入門書を一度くらいは読んでみることをオススメしたいところです。
まぁ、このへんは、世阿弥のいう「日々の初心」に相当するのかな、と思います。一つ一つの向上が、過去の失敗に対して振り返り反省する意識によって裏打ちされており、それのたゆまぬ繰り返しのなかではじめて、毎日毎年のおのれの成長向上がある、という考え方ですね。世阿弥は自らの進む足取りに過ちがあったことに対して一つ一つ自覚的でなければ自分の芸術の進展はないと考えており、無意識に体にたたき込ませるといった一般的な成長についての考え方には立たないのですが、その点も含めて、このテキストの筆者原研哉氏の考えと通じるところがあると思います。
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おおざっぱな解説で申し訳ありませんが、ここまでを大づかみしてもらえれば、次回の記事2本くらいで簡単な小問の解説、および〝見過ごされやすいけれども前期教養学部に必要な思考力という点で必ずや得点差として計上されているはずの箇所〟についての解説ができるかと思います。
私自身のスケジュールと、図解するシステム開発を優先しないとどのみち分かりやすくならないという考えから、今年度はだいぶざっくりとしたかたちで解説をすることしかできませんけれども、わざわざ読んでくれる皆さんのなかで疑問に思うことがありましたらぜひとも[email protected]までメールしてください。字数的に大幅に増やすことはできませんが、ご質問の水準に合わせてかならず記事の解説の中身を調整して分かりやすくしたいと思います。
次回の記事(小問の解答解説)の更新は盆休み前にいたします。皆さんも実際に答案を書いてみてください。
それではまた。