【プチ解説】二〇二一年度第1問 松嶋 健『ケアと共同性』
どうとでも取れる「ではなく」の向こうに潜む前提条件たち

 この記事では、今年度の本試験第一問の解説を簡潔に行います。
 NYG33期の皆さん、32期既卒生の皆さん、今年はほとんどお役に立てずすみません。MHの受験生の皆さんには今年もご縁がなく残念でしたが、国語研究室にいますので、何なりと声をかけてください。文法畑なのでいわゆる国語的な素養は持ちえませんが、直前対策という浅いところであればお手伝いできるかと思います。
 「私立理系併願でも取り組める国立大現代文記述のスキル」をコンセプトにしたこの東大現代文読解戦略ブログには、昨年度までにそれなりの演習量の記事を残しておきましたので、五、六時間の演習を行ってくれた人が今年も十数人くらいは居てくれたようで有り難いことなのですが、ユーザー数がほぼ1名(︙︙)だったので、マンツーマンのメール添削を小規模に実施して過ごしていました。

【本文の全体構成】
 昨年の小坂井敏晶氏の文章の論旨は、以前の記事【プチプチ解説】『神の亡霊 近代の原罪』で触れたようにロジカルシンキングにおけるお約束を二重に問うたことが災いして、課題設定が見えていない状態では論理の表と裏、そしてその陥穽を説明することなどできるはずもなく、思ったほど得点の分布がバラけなかったのではないかと思います。
 今年も同様の出題をされているところから、そこが反省材料とされていることが推察されます。

 本文(世界思想社『文化人類学の思考法』※共著)を入手して、松嶋さんの担当される一章をまるごと読みましたが、控えめに言ってももうすこし編集が必要とされる文章だと感じます。特にディスり構文の多発については、読みながらお手上げな気分にさせられました。どうして訂正しているのか、何を訂正したいのか、いやもしかして累加・添加(「Aに加えてB」のような)で使っているのか!? と卒倒するようなまとまりの無さで、作題者もそこを狙って出題しているのは明らかではありますが、ただ読み通すことにも骨が折れる生硬な文体であることは否定できないと思います。

 私なんぞの失礼なダメ出しはさておいて、こうしたディスりだらけの曖昧な文体の解読のしかたは「東京大学的紆余曲折文章の抄訳問題」にまとめてありますのでさっさと作業に入ります。

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