【プチ演習】2008年度『反歴史論』③(問2、4、5解答編)
伝統の〈重み〉は自分たちのものか否か

 2008年度『反歴史論』の残りの設問解説(問2、4、5)です。問2は実は各論の設問でしかないのが罠と言えば罠なのですが、てきぱきいきましょう。
 自分たちの代で母校に何を為し得たのか、私立の草創期の学校であれば在校中の一つの美学みたいなものがあります。母校に対する思い入れというか、自分たちが頑張ったことへの誇りというか―――生徒会役員や組織化が重要なクラブであれば、学校の年齢に限らずそうしたプライドというものは明確にあるのではないかと思いますが、自分たちの主体的な選択が歴史の重みとして感じられるとしたら、それは卒業後の十年くらいはひとつの誇り、よい思い出であってくれるのではないでしょうか(高校生の視点から見た時の景色と比べれば、思ったよりも早いペースで、社会も自分自身も変わってしまうものです)。

 NYGは中等部女子1期生というところ、中等部共学(併学)1年目というところでかろうじて〝時代の区切り〟らしいかたちになっていますが、あまりに変化の早い学校なので、皆さんがこうした喩えにピンとくるかどうかはちょっとわかりません。けれども〈歴史の重圧〉に負けそうになるのか、〈自分たちが築き上げてきた実感〉を後輩や周囲に誇れるのかという問題は、この文章の〈歴史の重み〉というものの認識にけっこう関わってくるのではないかと思います。

 積み上がったものと自分自身との比較、それから共時的に自分よりも声が大きい存在との比較―――この文章は〝批評〟の比較軸が通時性/共時性の二つの次元に展開されていることが、読み取りと説明の両方を難しくすると思います。論点をすり替えない真面目な筆者の文章だからまだ救われていますが、二つの軸で比較相対化がなされる批評というのは、霊長類の生き物に過ぎないホモサピエンスにとっては相当気をつけなければ正しく読み解けない/説明が相手に通じない〝目先を奪われる複雑さ〟を持った文章であることは間違いありません。
 だからこそ、筆者自身が前提に据えていること、根拠にしていること、問題としてとらえていることを押さえた読み解きの戦略的な重要性が際立ってくるのです。

2008年度第1問 宇野邦一『反歴史論』③:
 【解答編】良い答案を募集します(追記して採点します)。メールやコメント欄経由で送ってください

☆☆ここから先は会員専用ページです。 ⇩ ⇩ ログインしてください ⇩ ⇩ ☆☆

[if-login]

【解説、マークアップ】2008年度東京大学第1問「反歴史論」

【2008年度 全体の構成的な読み取り】
 解説・マークアップPDFを読んで、全体のexと〈r〉の関わり合いをあらすじをたどりながら確認してもらえたら、問1、3に引き続き問5の一二〇字記述もほとんど問題はないと思います。
 問1でいち早く矛盾のない説明と文中の語彙の扱いにたどり着き、問5のレトリックもお見通しなのであれば、その流れのなかで実得点として10点ほどのアドバンテージが出るでしょう。それほどに本文に〈r〉が出てくる時の〝ストーリーテリング〟の破壊力は絶大なので、設問に入る前の「本文の下処理」の手順と時間配分には、しっかり感覚をつかめるようになるまで実際にやってみる必要があります。

 ただ、同時に〝下処理〟の段階で忘れてはいけなかったのが、ディスり構文の解消のプロセスを確認する作業です。
 ディスり構文が筆者本人による言葉のぬかるみの中からの立て直しである以上、その解消に至る過程にある半端な言葉づかいを聞きかじり、読みかじりで解答に用いてしまうのはとてつもなく危険な行為です。先の記事の問3付近で〝歴史とは、じつは概念・イメージなので︙︙〟といった深読みにはまる方向の記述解答がありましたが、本文において歴史の定義は実は複数提示されており、しかも問2、3、4に出てくる〝歴史〟は貶(けな)されている側の定義(ダメな概念=誤った抽象化)であるということがわからなければ、途中の強い言葉使いや学術的な用語に惑わされて主旨を見失い、問1と問5でズタボロの解答を書く羽目になってしまうのです。

 このリスクは「傍線部を区切って、本文中のフレーズと置き換える」という〝現代文SOS〟由来の解答のアプローチでも同じです。傍線部を分割して置き換えパーツを探しに走る前段階で、すでに本文が定義の段階から二種類の違う「歴史」を用意していることをつかめていないといけないのですが、たいていの場合は意味的に合致するパーツを適当に〝段落の中心文〟から見繕ってすり合わせる作業が先行するばかりで、論理展開の全体像を考えるなんてことはありませんでした。こんなことは、大学の教養課程の水準からしたらおよそありえないことです。
 最近出版されたKADOKAWAの黄色い本『世界一分かりやすい東大の国語』は、同時刊行の黄色い『京大の国語』よりはだいぶマシな解答解説ではあったのですが、このシリーズでも〝歴史とは――〟と書き始める調子だったので、文系の学問をロジカルに扱うためには「読み解く側の論理力」に加えて、むしろ「断片的な理解を回避するための心得」(「本文に根拠とすべきでない曖昧な部分がある」「〝意味段落〟の先にしか根拠がない場合が多い」などの事前知識)が本気で必要なのではないか、と最近真面目に考えているところです。

【2008年度 公開採点 問2、4、5】

問2「歴史そのものが、他の無数の言葉とイメージの間にあって、相対的に勝ちをおさめてきた言葉でありイメージなのだ」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

 文章中盤でいろいろと述べられています(傍線部イ/傍線部エ)が、終着点(本文結論部ex4の前後の内容)まで見れば、ここでいう(狭義の、筆者が好きでない方の)歴史の定義というのは〝(人々にとっての)強制力・決定力〟でしかないことが分かります。そこへつながる内容として「相対的に勝ってきた概念・イメージ(問2)」「記憶の一部としての個人の主体性について強迫(無理に迫ること)的だった(問4)」ということを認識しなければいけません。文脈以上の論理的な展開はないので、変に脚色を付けて邪推して書かないように気をつけて、問1、3、5の〝本筋・主旨〟に照らしながら解答するようにしましょう。

 
 問2は「狭義の歴史つまり〝イメージとしての歴史〟とは、a『いったいどのようなもの』で、それがb『どのような経緯で』c『何と比較して(戦って)』相対的な勝ちを収めてきたか」を、形式段落内部の文脈から拾ってくればよいでしょう。
 ただし、筆者の考える本筋(個人の主体性や様々な記憶形態を包括した巨大な質量の記憶、それが歴史学にとっての「歴史」である)との対比を念頭に置いておく、そのさじ加減がけっこう難しいように思います。
 傍線部イの〝相対的〟は、たんに「狭義の歴史概念」が「狭義の歴史概念」同士で競い合っているだけで、決して「狭義の歴史」が「記憶の総体としての歴史」と競り合っているわけはないのです。その〝しょうもない争い〟の様子をうまく説明できたらよいですね。

 そこで、問2に関する解答要素を関連3要素6点でいうと、
a 「事実」やそれを記録する「記憶」を追究する次元ではない、つまり、筆者の言う「歴史学が目指すべき歴史」ではないということ
b 国、社会における同一性やあり方をめぐる(政治的な)争い
c aの候補としての別の価値観、規定を示す言葉やイメージとの比較における勝利

ここで目指すべき答案は
〝一般に言う歴史とは、史実の実相を離れた想念の中から国や社会がその同一性のために選び抜いた暫定的な価値観にすぎないということ〟という、ただそれだけです。「概念化されたイメージどうしが評価され潰しあい、勝ち残る」ことが、「記憶の曖昧さや検証のしづらさ」や、「中心化された歴史的価値観(歴史観)が記憶を集積した巨大な領域をないがしろにする」といった歴史学における諸問題を置き去りにして繰り広げられていることに、傍線部イの文脈のくだらなさがあります。

①0+1+0=1点 ✕間違った論証
歴史とは、国や社会において、多くの記憶のひろがりの中から代表的な価値観によって中心化され、自己像を構成する言説や表象であるということ。67字
②0+1+0=1点 ✕競い合っているのは価値観としてのイメージであって、「記憶」と概括するのはまずい
歴史とは、様々な✕記憶のせめぎあいのなかで、たまたまその社会の代表的な価値観などに応じて生き残った言説や表象の一つにすぎないということ。67字
③0+1+0=1点 ✕間違った論証、先行する①の丸写し
歴史は、その社会において優勢な価値観によって恣意的に選択され、社会の成員の自己像を構成してきた記憶だということ。56字

④1+2+2=5点
一つの歴史は、その主体である共同体の自己像を構成する代表的な価値観を中心に、それ以外の要素を排除する形で編み上げられた表象であること。67字
⑤0+0+0=0点 ✕比較の対象も集約される対象も何を指しているのか読めない
主語にしても比較される対象物にしても「記憶」に集約されるものではない
歴史は、さまざまな個人や集団の記憶の中で、最も支配的な価値観として国家やその成員の自己像を構成してきた記憶に集約されるものだということ。68字
⑥0+2+0=2点 ✕間違った論証
歴史は社会の代表的な価値観によって成員の自己像を確立する働きをする✕ため、✕他の言葉やイメージよりも重要なものとみなされてきたということ。67字

⑦1+2+2=5点 
歴史は、ある社会の代表的価値観に支持されて、その社会の成員の自己像を構成する際の言葉のイメージをめぐる闘争を制し、社会的に通用しているものであるということ。78字
⑧1+2+0=3点  ✕間違った論証 ✕比較される対象物と価値観・イメージに関連付けがなされていない
歴史は、各社会の代表的価値観✕に基づき、記憶の一形態としてその成員の自己像を構成する役割✕を通じて、✕無数の記憶同士の抗争の中で生き残った一つにすぎないということ。79字
い改 1+2+1=4点  △c:この解答だと複数の集団がそれぞれイメージを作っているが、社会の中での〝代表イメージ決定戦〟であることを書くべき  
強制力を持つ歴史は、それぞれの集団自身の代表的価値観を構成するために個人と集団の単なる記憶から選択的に記憶された言語表現と理念だということ。70字

 分かってなければ筋道が見えなくて修飾語の多い錯乱した説明になっていくばかりです。⑤みたいな解答していないか本当に気をつけてください。

 問2は「狭義の歴史つまり『どのような』歴史が『何との比較』の中で『どのような経緯で』相対的な勝ちを収めてきたか」であり、
例えて言うなら、「我が校はここ数年◯◯大会で賞を得ているから、△△部で売るのを止めて◯◯同好会を学校のイメージ戦略として押し出していこう」というような広告戦略みたいなものです。
 全校生徒が◯◯大会に出たわけでも、△△部に参加しているわけでもありません。生徒の結果のうち評価できるイメージとして抽象化されたいくつかの捉え方(概念)の候補どうしが、生徒の実情そっちのけで互いに相対的な優位を競っているだけです。

 対して問4は「狭義の歴史つまり『どのような』歴史が『どのような概念として』『何に対して』〝強迫的な〟性質をもっているのか」ということになるでしょう。
 例えて言えば、ブランド化された卒業生の△△部の活動実績やイメージが、これからその社会の構成員となる新入生に△△部に所属して日々を過ごすノルマを強いていく、という方向性です。
 新入生が好きなように活動して実績を上げればよかったのに、今後数年間おなじ△△部ばかりが控え選手を増やしていく―――そういう不毛な強制力のことを言っているわけですね。

問4 「歴史という概念そのものに、何か強迫的な性質が含まれている」(傍線部エ)とあるが、どういうことか、説明せよ。
 問4は、問2と違って本文主旨(「記憶」の総体)への悪影響、利益相反があることを示さなければいけませんので、
a 概念化された狭義の歴史の内容説明
b 歴史が強迫する相手=本来主体であるための集団内の個々人
c それが本来人々が作り上げていくはずの〝歴史学にとっての歴史〟=記憶の領域に対する損失、自滅行為につながること
 特に、文章構成上必須な要素cが書けるかどうかが重要だと思います。
〝社会の価値基準としての歴史は、記憶の領域を主体的に構成していくはずの個々人の主体的な選択に干渉を与えていくということ。〟が基本的な解答のアプローチとなるでしょう。

①0+1+0 △b:論証雑すぎて「その結果」では「さまざまな形(本当は筆者にとっての〝理想の多様性、自由〟)」がどういう方向になるのか規定できない
歴史は、✕記憶の集積として社会のすべてを形成し、その結果さまざまな形で個人の生を決定するということ。49字
②0+2+0 ✕a:ダメ歴史と筆者の言う歴史の区別がない、概念化すら言及なし 
歴史が個人の記憶を集団の記憶へと統合し集積するものである以上、そのなかで生きる個人のありようの一切を規定することになるということ。65字
③1+2+0 △a:先験的な〝価値観〟〝方針〟のように概念、捉え方、理念として明確にするとよかった
歴史は、集団を位置づけている先験的なものとみなされることによって、個人の生を呪縛する構造を持つということ。53字
 先行するK社の解答速報(②)が、「定義」も踏まえず「本文結論への関連性」も読み取れずにゴチャ混ぜなことを書くために、この年の各社の答案はほとんど意味不明な駄文ばかりとなってしまっています。

④0+2+0 ✕a:本文全体で歴史が再定義されることが全く分かっていない
歴史は集団の記憶の集積として個人に直結し、個人の意識から身体に至るまで強制的に決定づけるということ。50字
⑤1+2+1 △c:「であり(連用修飾)」が論理性を破壊している。次世代の文化や制度の形成は「私」たち個々人によるものだと書けばよかった
歴史は個人がその中で生きざるをえない文化や制度の形成者▲であり▲、「私」という存在のあり方を規定する力として迫ってくるものだということ。66字
⑥0+2+0 傍線部「歴史としての概念」が前段落の文脈を示していることを説明せず、一つの要素だけに字数を割いてしまっている
歴史は様々な社会装置を通して個人のあり方を決定しており、人間の身体や感情、生死に至るまで生き方を強制する側面をもっているということ。66字
 ⑤だけは正気を保って本文全体を読み通しています。あと少しの論理力・もしくはあと少しの論拠の整序作業があれば︙と思います。

⑦0+2+0 傍線部「歴史としての概念」が前段落の文脈を示していることを説明せず、一つの要素だけに字数を割いてしまっている
歴史は個人から集団を貫通する記憶の集積として、現存の人の営為の所産に対する、さらにその成果の集積として個人の生そのものに対しての決定力、強制力を持つこと。77字
⑧0+1+0 △b:前半の理由部分が後半の主張の意味にまったく関連しない
歴史は、個人の記憶を要素とした集団の記憶の集積とされるため、その集団内の個人の生き様を多様な形で決定することになるということ。63字
い改 2+2+0 ✕c:「恣意的に記憶した歴史」という主語への修飾句は不要で、「集団内個々人の多様な意思決定が作る今後の「記憶」に恣意的な悪影響を及ぼす」と関連付ければパーフェクトだった
各々の集団が自身の代表的価値観に沿って恣意的に記憶した歴史は、個人の身体、思考、感情、欲望を決定する作用があるということ。 62字
ろ君 0+2+0 ✕a:この文脈の「歴史」の定義をまず明確にしましょう。
△介入者:ウラの謀略に気づいたのは良いが、陰謀論ではなくて、筆者は学問として「歴史の成立プロセスの全体」を正しく見れば「〝権力者の歴史〟から個人の生き方はいつでも自由になれるんだ」と言っているのです。
歴史の成立過程で、個人や集団の記憶する行為を導いた主体が介入しており、その主体は常に個人の生き方を決定しようとすること。61字

 なんというか、私自身はこの年度の文章をむずかしいなんて少しも思っていないのですけど、大の大人たちが〝国の歴史観〟と〝歴史学の扱うべき「記憶の総体」としての歴史〟の区別がこれほどまでにできないのは何なんでしょうね。

問5 筆者は「それらとともにあることの喜びであり、苦しみであり、重さなのである」(傍線部オ)と歴史についてのべているが、どういうことか、一〇〇字以上一二〇字以内で説明せよ。
 最終の設問です。一度くらい各社の答案をちゃんと比較しようと思ったのですが、時間ばかりかかって体調が悪くなってしまいました。
 「テーマは一つで対比でも書いときゃ答案らしいものになる」とかいうステレオタイプがきっと一昔前までの国語のスタッフにはあったのだろうな、と思います。そういう私も一昔前からすでに国語の先生だったのですけど、そりゃぁ話が合わないはずだわ、とあらためて思いました。
 傍線部オの前後文脈も含めて見てみると、ディスり構文の解消地点にあたっているのが判るかと思います。局所的に見てたらもちろんダメで、最終のexをまたいだ前後の文脈から何がディスられているかを判断するんでしたね。すると、
a 歴史学が扱うべき歴史とは歴史A「巨大な記憶の領域すべて」であり、
b いやもっと言えば、それの一部分〈r微粒子〉となる個々人の自由な選択、欲求、感情そのものと言ってしまおう
c 〈r重み〉とは、〈r歴史を記す粘土板の重み〉=歴史A「記憶の領域」のものであり、
d それが人間が概念としていま選別している歴史B「表層的な歴史(観)」を支えているに過ぎない
e 歴史Bから離れようと言っているわけではなく、歴史Bとともにある個々人の存在に、総和としての歴史Aの〈重み〉を認めよう

―――すごく雑ですが、このくらいの配分、各3点(加点法最大12点)でよろしいでしょうか。詳細の説明は前回の記事で済んでいますので、添付PDFを見てください。

①0+0+0+0+2
歴史は無数の他者の行為、力、声、思考、夢想の痕跡であり、それらに生を決定されるのは苦痛だが、今を生きる自分がそれらによって支えられていることを感じるのは喜びであり、自らの痕跡をも含めて次代へとつなげていく重大な責任を負っているということ。(119字)
②0+0+0+0+0
歴史は人々の記憶を統合するものであるがゆえに、かえってそこからこぼれ出た様々な異質性を痕跡として見出すこともできる。それを見つめ、個人が歴史から自由でありえたことと、歴史が個人を抑圧することとを歴史の両面として引き受けるべきだということ。119字
③1+3+0+3+0
歴史とは、共同体の支配的な価値観を中心に作られ個人の生を決定する一方で、個人の自由と抵抗なしには存在し得なかったものであり、人間は歴史から排除された記憶を見直し他者とのかかわりの中で新たな歴史を生み出す自由と困難と責任を負う、ということ。(119字)

 先行するK社(②)が断片的な理解を論理的に修復できずに終わったなかで、それを追うS社の解答速報(③)は論理の復旧に成功しています。ただし、レトリックについては何も読めていないため、伏線については回収できていません。


歴史は個人と集団の記憶の中心化・集積として個人を決定すると同時に、その決定に抵抗して自由を求めた無数の他者の行為や声や思考などの痕跡にほかならず、そのような他者とつながることで喜びや苦しみを共有し、歴史を背負う重圧を実感するということ。(118字)

歴史は、共同体の支配的価値観に基づき個人の生を決定付ける一方で、偶然や自由な選択の集積として形づくられたものでもあり、その中で生きる人間は、抑圧された可能性や異質な存在に向き合いつつ、新たな歴史を作り出してゆく困難と責務をもつ、ということ。(120字)


歴史の中で生きることは、今までに存在した無数の他者の生の痕跡や記憶をひきうけることであり、そこには、そうした記憶に連なることのできる喜びとともに、他者の記憶に規定されて生きざるをえないという事実に関わる苦痛や重さが伴うものだということ。(118字)

歴史は、共同体の支配的価値観に基づき個人の生を決定づける一方で、偶然や自由な選択の集積として形づくられたものでもあり、その両面の中で生きる人間は、抑圧された可能性や異質な存在に向き合いつつ、歴史を作り出してゆく困難と責務を負う、ということ。(120字)

歴史とは個人と集団の記憶の総体を意味し、そこには他者の行為や思考とつながることによって歴史に参与する喜びや、歴史のもたらす強制力や決定力に支配される苦しみ、および記憶の集積としての重みを感じることなど、さまざまな主観性が伴うということ。118字


歴史は、記憶の行為として出来事を記憶しようとした個人や集団の主体性や主観性を、また、決定力を有する存在たる自身に抗しながら同時に自身を構成している個人の自由を、我々に教えることで、生における苦楽と歴史を作る個人の責任の重みを痛感させること。119字

人々の記憶の集積である歴史は、中心化される過程で無数の主体の記憶を排除するため、個人が自由に行動し選択しうることで、歴史からの一定の解放をもたらす一方個人を抑圧する歴史を作るという困難と責任を人間に引き受けさせるということ。112字

 定義の違いから説明を分けなきゃいけないのに、主語を同じにしたまま単純に要素を列挙して済ませようとする。もしくは理屈の出発点がわかっていないのに、「︙であるため︙」「︙ことによって︙」など自分の断片的な理解を結論にしてくれそうな強い論拠をでっちあげる。今回の各社解答は本当にひどすぎました。最後に投稿してくれたい君の書き直し答案でまとめにしたいと思います。

い君改 3+3+3+1+2=12点(配点上は満点)
限定され強制力をもつ歴史の前提となる広義の歴史は過去の無数の他者の営為と私たちの大小の自由の蓄積で作られており、強制力をもつ歴史を作る際に取り残された無数の人々の営為をないがしろにしてはいけないということ。

 いや、率直に言って素晴らしいです。人間の知性と努力はこうでなければならないのです。
 みんなもすごく疲れる時ってあると思いますが、自分の主体的な取り組み自体が作る歴史に、期待を持って日々臨んでください。トートロジーのようですが、振り返ればそれが自分の重みになっているのです。

問6 a=微妙 b=局地 c=脅 d=維持 e=犠牲

[/if-login]


コメントは受け付けていません。