③ロジカルシンキング
読者と共有された課題設定・問題意識の確認のしかた
ロジカルシンキング・アクティブラーニング・クリティカルシンキング・課題解決学習などの呼び名で、大学構造改革後に盛んに扱われるようになった、日本語の枠に囚われない〝問題事象を論理的に考える取り組み〟についての力を問う出題パターンです。
過去十年間で多くの大学に浸透し、中学や高校にもその教え方が下りてきましたので、知っている人も多いと思います。実際に見てみましょう。
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【プチプチ解説】二〇二〇年度第1問 小坂井敏晶『神の亡霊 近代の原罪』
詳細は右のリンクから読んでいただきたいのですが、この記事で述べておきたいことは、ロジカルシンキングにおいては、〝現代社会を読み解く〟という広い意識でテキストを読み解くのではないということです。
これはS台予備校が盛大に間違い続ける部分です。〝課題解決学習〟という言葉が如実に表すとおり、設定された問題意識のもとで、与えられた課題を論理的に解決していくというスタートもゴールも設定された論理的ゲーム、それがこのジャンルの出題の特徴になっています。
ですから、アクティブラーニングという言葉が与えるような主体的・積極的なイメージよりは、状況と設定の上ではそうするよりほかはないという条件依存型の論理ゲームととらえたほうが自然かもしれません。皆さんの世代の何割かはアクティブラーニングを授業や総合的な学習作業で経験したことがあると思いますので、自分でやるしかないしやり方もちゃんとするしかないという感覚は、なんとなく覚えがある人も多いでしょう。
すると、現代社会の諸相を読み解くみたいな広汎なテーマ設定・問題意識は必ずや本文中の各論的な小さなゴール設定の邪魔になります。これはかならず邪魔になってしまうのです。二〇一一年『風景の中の環境哲学』みたいにとても具体的でわかり易いテーマ(〝都市郊外=日常生活空間の周辺、としての河川敷の空間設計〟)だったらいいのですが、二〇一六年の内田樹の文章のように、学術的な見地から政治的に対立する考え方をする集団を批判するような文章では、「現代文はテキストの読解を通じて現代社会を生きる知恵を学ぶんだ」みたいな功利的な読み方に毒された人間ではかならずや対応しきれなくなります。
この二〇一六年度に限らず、つい最近の二〇二〇年度も同じコンセプトの出題になりますが、不祥事を起こした与党議員みたいな政治的強者の側の論理を特定の見地から改善しようという目的意識をもって正そうとする文章は多く出題されています。これを政治的多数派の側で読んでしまうような世知に長けた功利的な読みをする人たちは、筆者の設定したガイドラインにまったく重ならない記述をしてしまうことになるわけですから、読解力にせよ記述力にせよ、実力と全く関係なくバッサリと切られてしまうということになるでしょう。
詳細は、それぞれの年度の記事を読んでください。読みやすいのは二〇一一年ですが、二〇一一年はかなり細かいところまで記述に論理的な表現力と、複数の比喩表現による伏線の正確な説明力を問うていますので、記述解答を作るまでには結構な練習が必要になります。記述力についての最終的な仕上げとして、この年度を直前にきっちりと記述解答を作ってみるといいかもしれません。
二〇一六年度のほうは、テキスト本文の中で同じ内容の場合分けについて離れた箇所で説明が改めてなされており、それを伏線解消して総合しないと記述説明が完成しないという意味で、中身はかんたんなのですが忍耐力が要求されます。どちらが簡単に思えるかは人によるでしょう。「︙︙だが、︙︙ではなく」みたいなヨワヨワな記述しかできない人は、二〇一六年度を先に記述練習するべきだと思います。
さて、直近の二〇二〇年度は、ゴール設定が「ヨーロッパ近代思想の二重の落とし穴を説明するため」であるということを正しく意識することが最も重要になってきます。つまりヨーロッパ近代の〝個人主義〟〝理性〟についての説明をしている現代文重要テーマ解説的な文章などでは断じてなくって、理性という概念にも落とし穴があるし、その落とし穴を解決するためのアファーマティブ・アクションにもさらなる落とし穴があるという落とし穴の入れ子構造を正しく読み取って説明するところに直接的なテーマがあるのです。
二〇二〇年度については、詳細な記事をまだ書けていませんけれども、右に述べた入れ子構造をまず読み取るだけで卒倒しそうなややこしさになっていると思います。冒頭の数段落の内容と、最終の結論部の内容とが同じゴールについて述べた文章であることに気がつくためには、課題設定の文脈〝︙するためには・うえでは〟にきっちりと目印・傍線をつけることが非常に重要になったことでしょう。これをやらない限りは、問一の段階で皆さんの読解は大暴走してしまっているはずです。
また、二〇年度は「日本は二重の落とし穴のどこにいるのか」/「アメリカのBLMは二重の落とし穴のどこにいるのか」を正確に理解することにも、正確に説明することにも、かなりの労力がかかる恐ろしい問題だと言っていいと思います。現代社会を広汎に読み解く観点からすると、日本においてメリトクラシーが本当に機能しているのかとか、アメリカにとってサンダース的社会民主主義が本当に目指すべきゴールなのかとか、日本の位置づけはほんとうにそこで合っているのかとか、小坂井氏の文章は問題点が山積みで、教科書的に正しいことを述べている文章ではないのです。これは一六年度の内田氏の反知性主義についての認識についても同じで、内田氏の主張の正当性の怪しさ(政治的な文脈を説明すれば、これは〝政治家は学者でない〟というほぼ自明なことを根拠にした、第一次安倍政権に対する論拠薄弱な批判・強弁に分類されるはずです)の指摘は避けられず、政治的な正しさの検証は保留しなければ解答できない部類に入ることでしょう。
それでもなお、解答する受験生は筆者の論旨のとおり、課題設定のとおりに論理的な説明を目指さなければならない。課題解決型の論理的な文章においては、「現代社会を見通すうえで良い学びにつながった」みたいな自己満足的なテーマ学習のイメージで読解に当たることはけっしてやってはいけないということを、肝に銘じておいてほしいと思います。
さて、ここで説明し尽くしていない〝論拠の整序〟〝論拠と比喩の関係〟については、別の項目:
複数の論拠の整序を行う理由、
場合分けを語るなかで見えてくる前提条件、それから
それでも残る比喩表現の問題で説明をしていますので、そちらを参照してください。二〇一一年度にも二〇一六年度にも、二〇二〇年度にない年度なりに追求された難しさがあるのです。テキスト本文の主旨が読みやすいとか文体が平易だとかテーマ学習は中学生の内に終わらせたとか馬鹿なことばっかり言ってちゃいいけないのです。
本当の難しさは、解答を仕上げるまでの作業のなかでよぅく味わってください。